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消費生活

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#5032017/11~2017/12
21歳 女性
大学3年生(社会学系)

1996年6月12日 / 血液型 : B / 身長 : 171cm  / 体重 : 55 kg  / 居住地 : 神奈川県相模原市(青森県出身)   1人暮らし / アルバイト収入 : 月約1万円(ウェブマガジン) / 仕送り : 月約5万円 / 家賃 : 6万8,000円(親が支払い) / 自由になる金額 : 約5万円 / ファッション代 : 月約1万円

生き生きした日々を生きよう。

■LIFESTYLEについて
・高2、色々と落ちていた自分にこのままではいけない!と喝。親のありがたみと自分の将来を改めて考え、向き合うように。あるプログラムに応募し合格。多様なバックグラウンドを持つ同世代との交流を始める。
・高3、夏にプログラムで渡米。新たな価値観・視点を得て、国際機関で働きたいという夢を抱き始める。それに伴い国際問題について学べる大学への受験を決め、縁を感じ今の大学へ入学することに。
・大学1年目、希望していた学問を学ぶもどこか違和感があり、自分の適性と将来の夢について再び考え出す。学生団体の活動に尽力するも難攻不落。人間関係についての価値観も迷走。
・大学2年目、アパレルのアルバイトを留学前行う。マレーシアに半年間留学し、自分とは全く異なる環境で育った現地の人々との出会いや宗教・空気に感化される。相変わらず無常なアイデンティティや人間関係に対する価値観において、どこか霧が晴れ、少しずつ自分の足が地につき始めたような感覚に至る。
・現在、大学3年目、大学のある先生の元、いけるとこまでいってみたらどんな面白いことが見えてくるだろう?と、大学院進学も念頭に、バイトもやらずゼミに専念することに。
…しかしまだまだ人生模索中なので、「消費生活」で自分を見直す良いきっかけに!

●習い事:なし
●趣味:考えること、おしゃべり。睡眠/(時々)ファッションへの投資、映画、読書(漫画含む)、歌うこと
●半年間での大きな買い物:Y'sの黒ロングワンピ(7万5,000円)
●人よりお金をかけているもの・こと:ヘアケア
●最近面白かった本・雑誌:「潔癖男子!青山くん」(坂本拓)、「ゲイの可視化を読む〜現代文学に描かれる〈性の多様性〉?〜」(黒岩裕市)、「愛するということ」(エーリッヒ・フロム)、『ELLE』2017年4月号

●最近面白かった映画・DVD:『ライト/オフ』、『ドント・ブリーズ』、『ファンタスティックビーストと魔法使いの旅』、『君の名は。』
●最近行って面白かったスポット・イベント:マレーシア、ハワイ、地元の花火大会

2017年11月
27,905円
2017年12月
86,079円
11 合計:27,905円
0円
住居費
0円
光熱費
0円
外食費
16,576円
食品費
0円
通信費
0円
ファッション費
0円
趣味・遊興費
9,610円
交通費
389円
雑用品費
0円
交際費
1,330円
その他

2017年 11月 30日 (thu)

0円
本日の支出
合計:0円

今日、おそらく、ゼミがなくなった。まだ正式決定ではないとは思うが、先生を説得することができなかったし、ゼミに関しては自分も多々反省すべき点があると感じたし、とにかく、大学入学して初めて履修上・成績上で大問題が発生しつつある。
ま、それでも、学務課の人に相談して、そんなに思いつめなくて大丈夫だよと言われた上、なるようになるよと言われたので、…。あ、今書いてて、なるようになるよと言われたのを思い出した。よかった、なるようになるのか。思い出せて少しほっとした。
かねてから、ゼミのことを考えると、お腹がグルグルして穴があきそうな感覚、ゼミの先生のことを考えると、その期待に応えられていないなと、胸がハラハラザワザワする感覚を覚えていた。その時はそれらをあまり意識しないようにしていたが、やはり、自分にとって重荷だったんだろう。色んな他のポジティブな感情ももちろんあったにしろ。履修がどうなろうと、なるようになると信じているので、今は、なんだかんだ言って、ゼミがなくなるのは自分にとって結果的に良いことなのかもしれない。
しかしながら、初めて大学の構内で涙が出た日だった。誰も見てないところで、一人で、だけれど。
私が先生を説得しようと粘っていたら、先生は、以前は私に気を使って口にしなかったことを少しずつ出して、最終的には怒り始めていた、ように思う。私が前に比べて、崩れてきている、と、甘えだと。
かつて大学院に行くために一生懸命、先生の元で一度本気でやってみようと思います、と言っていたので、先生は調子が悪くなって色んなところをうまくやれていない私に対しても辛抱強くいてくれたのだと思うが、私が全く違う道を志し始めたので、もうそんな面倒もしたくなさそうであった。気持ちは非常にわかる。今までも先生はそんなことを心中抱えながらも、気遣って口にしなかっただけだろう。顔や態度・雰囲気には出ていた。
なんで涙が出たかって、そんな辛抱強くいてくれていた先生の期待に全く応えられなかったし、本当に自分がダメダメ人間だったなあと改めて実感したからだ。もう、色んな過去の自分の行動を振り返っても、イヤんなる。ダメ人間過ぎて。もう、こんなん、誰が相手してくれんだよ、って嘲笑せずにいられない。それでもどうにもできずにいる人って、どこで生きてるんだろうか?とか思う。私はやっとその出口が見えてきているわけだけれど。出口が見つからない人はどうすればいいんだろう。
とにかく、今まで辛かったのは事実だが、それによる弊害もそりゃ出てくるんだなあと体感もした今日だった。そうやって、色んな人間関係も経験して、うまくいったり不穏になったりしていくのか。自分の弱さと向き合わなきゃいけない時期とか、嫌でも突きつけられる瞬間があるのか。人生、大変だ。
それでも、こんな日にも、明日があって、未来があると、「先」を想像して、今を受け止められるようになって、
やっぱ自分変われてきてるなと思った。前は、「将来」なんてもの、考えもしなかったし、何にもポジティブに想像できなかったから。
昨日くらいにも言った気がするが、何か意味のある事をしていて、気づけば時間がすごくたっていることが増えた。今日は何にもしてない、って思いながら、時間がなんとなく過ぎていっているという一日じゃないことだけで、私は少し嬉しい。
納豆を食べようと思ったら、気づけば納豆の上のフィルムの上にカラシをたらしていた。注意散漫か。それでも、お母さんから送ってもらった昆布のおかずと共にご飯を食べておいしい夕飯だった。
明日はどんな日になるか。いい日になって欲しい。11月が終わる。どんな12月になるか。どんな12月にしたいか。

2017年 11月 29日 (wed)

846円
本日の支出
あったかいミルクティー自動販売機/表参道130円
甘食風しっとりケーキ、麦チョコセブンイレブン/相模原216円
ランチ定食食堂/相模原500円
合計:846円

今日は、珍しく学食でランチを食べた。鶏のから揚げ美味しかった。
ちょうど見た、トイレの標識が、靴下を履いていた。ルーズめの。
あと、今日もまたセブンに行った。初めて見つけたお菓子があった。なんか、料理をそのままお菓子にしました!みたいなやつ。野菜チップスとかも今まで流行ってた気がするけど、これはなんだか再現度も高そうだし、お菓子じゃない「食事」をお菓子にしちゃいましたって感じで、アイデアが面白かった。買わなかったけど。笑 どっかでバズりそう…
ここ何日か、やることがあったり、やりたいことがあると、多少眠気はあっても、色んな作業だったり、家事だったりをして、夜も起きて有効活用できるようになってきたし、朝も、理由がわからないほどずっと寝たくなったりもしない。それに、顕著に違う気がするのは、授業中、後期になってから、眠気に駆られまくって自分でもどうしもできないほど眠くなったりすることや、人が話していることをいつも通り聞いているはずなのに、全く頭に入ってこなかったり何を言ってるんだか、話が全然理解できないようになったり、などの現象(?)が頻発していたのだが(前期にはそんなことなかった。私は基本、授業は超集中して、居眠りとか全くしない人。)、ここ数日はそんなこともほとんどなく、色んな気持ちが自分の中で(無意識でも)つながってるんだなーというのを身を持って感じるようになった。最近は、英語だけでなく日本語の言葉も全然浮かんでこなくなったり、口がうまく回らなくて話が下手になったり、漢字だけでなく、カタカナとかさえもふと忘れて一瞬空っぽな感覚になる、なんてことがよくあったのだが、それも少しずつ治ってきているような、気もする。そうであって欲しい。
明日からしばらく、できる限りお菓子類を食べるのをやめていきたいと思った。右ひざ関節滑膜炎になってから、それを言い訳に運動を全くできず、たまるストレスから過食気味にもなったりというのもあって、どんどん体は太り、動かなくなる一方で、やっぱりダイエットもそれなりにしないと!とも思うし、できる範囲で、また前やっていたような筋トレや柔軟をまた生活に取り入れていきたいと思った。こんなことを自分から思うのは久しぶりなので、本当にいろんなことに対してここ数日で自分の中でやる気がわいて前向きになってきて、非常に心地よい。
また、近々バズカットというか、坊主にチャレンジしたいなーと今日特に思って色々画像検索とかした。興味深い。
明日、ゼミの先生と面談して、今後のゼミをどうするのか大事な話をする。どうなるんだろう。どっちにしろ、ゼミがどうなろうと、就職にも将来にも本当に重要なことでないから、あんまり気負わずにいこう。

2017年 11月 28日 (tue)

1,118円
本日の支出
豚焼肉弁当(唐辛子マヨ)、からあげ棒(竜田揚げ)、サクサク食感のしっとり抹茶セブンイレブン/相模原729円
クリアポケットリーフ購買会/相模原389円
合計:1,118円

今日は、ゼミの先生に、「大学院に行くのをやめて、コピーライターになります」っていうご報告したら、「1つそういうの見つかったっていいことだね、じゃあ、ゼミはもうやめようか」、っていきなりそんな話になり、だだだーっと話が進み、ゼミが始まって20分もたたないうちに先生がパタンと扉を閉めていってしまった。
しばらく教室に一人で残って考えていたら、「いやいやいや・・・!だめだ!ゼミはちゃんとまだやりたいよ、やらなきゃ!」となって先生を探しに行ったが、すでに帰ってしまっていた。色々と思うところをメールにして送信した。それでも、いまだ音沙汰がない。
先生は研究者を育てたい芯があるタイプの先生で、
今まで私が大学院に行きますと言っていたのもあって、一人だけ正式ゼミメンバーとしてこれまで入らせてもらっていたのだが、
最近は、頑張りたいのになぜか全くやる気が出ずに、私がガツガツとゼミに取り組めなかったことや、ちょくちょく調子が悪くて休んだのも、先生はやっぱり気に入らないところだったのかもしれない。いつ見放されてしまうだろうかとびくびくしていたが、それが今回来てしまったのだろうか。
このゼミの先生は、知識や着眼点が非常にユニークで面白く、それを吸収したいがために、今まで追っかけていた。それ以外の先生のゼミが、かつて私の選択肢に全くなっていなかった。しかし、今日こんな一事件が起こったので、学務課のお世話になっているスタッフさんに相談したら、また色んな事が見えてきた。学部内の先生でも、ゼミ以外のことにも親身に丁寧に向き合って進路相談を受けてくれる人がいること。大学のうちに、大学内にも人脈を作っておいた方が後々大学院に行きたくなったとしても、良いだろう、ということ。
私は、これまでゼミ自体やゼミの先生の気持ちの移り変わりに対して、どこかいつも心中ハラハラしていて、心がずっと不安定になっていたことに気づいた。ちょくちょく起きていたゼミでの騒動のおかげで、似たようなことが起こると動悸がする感じになる。ゼミが楽しいとかは、思ったことがなかった。有意義だとは思ったけれど。それでも、そんなもんだと思っていた。
けれど、今日、他にも色んな選択肢が本当にあるし、別に何かそこらで失敗したとか、できなかったからといって、就職できなくなるというわけでもないし、大学にもまだ頼れる人いるんだ、とか思えた。ゼミの先生は研究の師としては申し分ないけど、個人的に人間として頼ったりできるような人ではない。それが悪いってことじゃなくて、たまたま先生が少なくとも今の段階で私にとってそういう先生ってだけ。だからといって、そこだけに縛られて一人で悩みを抱えている必要もない、とか思えた。
私は、大学一年生の頃に学生団体のリーダーをやったのだが、自分なりに頑張ったけど、色んなことがあって、周りの人にうまく頼れず、うまく団体を動かしていけず、色々失敗して、結局それまですごく近しい友人だと思っていた人がほぼ全員離れていった、という経験をした。
それで、今の大学での人間関係は、本当に限られたもので、このまま卒業するんだろう、とどっかで思っていた。
けど、3年目、この時期になって、また改めて人を信じたり、熱く向き合ったりすることに、チャレンジしてもいいのかもしれない。人と適度に付き合えないし、なんだか友達は離れていくし、人の気持ちをうまくくみ取れなくて、私はダメな奴だなあと感じながら、最近どっかでますます人が苦手・恐怖になっていたような気がする。それでも、今日、まだまだ、まだままだ、周りを見渡せば色んな人がいて、私を受け入れてくれる人がいるかもしれないと思うことができた。しばらく会ってない友人だって、実際会ってみると自然にすごくしゃべれて、ホッとできたりするし。みんな、あまり会わない友人たちはそれぞれの場所で頑張っていて、それでも、いつでも私のことを応援してくれるんだろうなぁ、なんて思えた。そんなことをしばらく忘れていた。
まだ、状況は一向に変わっていないけれど、また、まあ、なるようになりながら、自分ができることを目標に向かって頑張ろうと、最終的には思えた日だった。
今日は、そんなこんなで帰るのがいつもより遅かったので、夕食はコンビニ弁当で済ませた。母が実家から野菜をたくさん詰めて送ってくれた。しばらく、野菜生活できそうだ。今日、そういえば、初めて「雑用品費」を払った。文房具だ。文房具、私全然買わないなーってことだ。おやすみなさい。

2017年 11月 27日 (mon)

0円
本日の支出
合計:0円

まんが「サイコセラピーのお話」という本を読んだ。
大学一年生の時に、二子玉の蔦屋書店でなんとなく買った本だったのだが、久しぶりに読んでみたら、自分に凄く刺さった。
この本を選んでいた当時の自分は、無意識ながら、自分の無意識な特徴に気づいていたのかもしれないとびっくりさせられた。(「無意識」の感情や特徴って、全く見えないけれど、人に本当にあるんだなーと最近実感している。)
感情をいつもどこかで抑制してしまい、それを上手にコントロールしながらもうまく表現して適度に誰かに伝えるなどが、苦手だということ。
最近になってそんな自分の短所のような部分を自覚してきたのだが、この本にはまさにそんな事例が載っていた。色んな意味ですごくビックリ。
前にも言った気がするが、読むときによって、感想・感触が変わるのが、本の面白さだ。同じ本だって。何度読んだって。
もっと、自分の感情とうまく付き合っていきたい。
でも、今は、意識の部分と無意識の部分がだいぶ共通してきて、一つの方向に向かえている気がする。明日を前向きに考えられて嬉しい。
家で、ゼミのための勉強と、コピーライターのための勉強をした日だった。

2017年 11月 26日 (sun)

0円
本日の支出
合計:0円

「大学卒業後は、コピーライターになることを決めた。」
昨日も書いたこのことだけれど、どんなコピーライターになりたいのか、少しでもここに残しておきたい。
私は、ここしばらく、自発的に楽しいと感じられることがなかった。
しかし、
コピーとか言葉について考えてる時、
自分が、面白い!楽しい!って素直に感じられた。
他の人にとっては意味が分からないことかもしれないけれど、私にとっては「楽しい」の正体が初めて自分なりに気づけてきて、「これから、自分はこれがやっていきたいんだ。」、と思えた。
自分が誰かに強く言って欲しかったようなことを、
今度は、私が多くの人にコピーという形で伝えたい。
私のコピーによって、それを見た人が、
励まされたり、新たな視点・可能性・価値観、
例えば、
自らの凄さ・素晴らしさ、
日々・家族・周りのありがたさ、
当たり前の素晴らしさ、
物事の新しい捉え方、
に気づいてそこに価値を見いだせたり…、
改めて、
もっと前向きに、晴れやかに、生きていきたいと思えるような、
そんなコピーを生み出したい。
あなたが思ってる以上に、あなたは素敵なんだから!
あなたの思うように生きててイイんだよ。
胸張って、今日も明日も、自分が思う日々を歩んでイイんだよ。
自分らしく生きていいんですよ。
そんな声を、コピーを通してたくさんの人にかけていきたい。
伝えていきたい。
人の背中を押したり、寄り添ってさすったり。
時には感動させたり、驚かせたり。
そんなコピーを書く人になる。
決意表明もまた、ここらでほどほどにして、
さっき、両親にLINE電話をした話。
今まで、大学院に進学するつもりだったが、卒業後はコピーライターになりたいと考えている、ということを伝えた。色々と、最近・昨日今日感じたことを伝えた。そして、養成講座に行かせてほしい、その費用を出してほしいとお願いした。
なんだかんだ話していても、とても、愛情を感じる。何度もなぜか泣きそうになった。泣き声みたいな声を出すまいとこらえた。私の家族の空気が、電話を通して伝わってきた。
私は今年の頭に留学から帰ってきてから、お金をしっかり稼ぐよりゼミに時間を使おう、と思って、アルバイトも何も本格的にやっていなかったから大きなお金がない。
それで、両親にこんな相談をすると、結局、いつも頼みを飲んでくれて、お金を工面してくれて、本当に本当に感謝の気持ちと申し訳なさでいっぱいになる。
うちは裕福でもないけれど、一人娘で、すごくかわいがってくれているから出してくれるのだと思う。これは世間でも、当たり前の事じゃない。こんな両親を持てたことは、本当に幸運だったと思う。感謝…。
以前も、セラピードッグ関連の資格を取るために、非常に大きな額の出資を頼んで、OKしてくれたのだが、この時は、本当に自分が浅はかで勘違いしていたので、後々になって、この資格自体は自分にとってあまり意味がなくなってしまい、結果的にその大きな出費は私の大きな失敗となった。失敗をすることはそんな悪いことではないけれど、両親を関わらせて、それもお金の関連の失敗は、本当にやりきれない。ごめんなさいと思い返すたびに何度も何度も思う。思い返すたびに、暗いどうしようもない気持ちになる。
本当に、近い将来、少なくとも就職関連にかかった諸費用と資格にかかった費用の合計は、両親にすぐ返したい。ありがとうございます。本当に。両親を安心させられる就職をかなえたい。自分で自立して稼いだお金ができるまで、大きな買い物はしないことにしよう、と改めて自分の中で約束した。
話しは変わって、夜もだいぶ更けてから、隣の部屋だと思うけれど(音漏れが、隣なんだか、上なんだか、隣の隣なんだか、わかりかねる部屋に住んでいる。)、秦基博の「ひまわりの約束」の演奏と歌声が聴こえてきた。よく、深夜や早朝になると、隣の部屋がなんだかざわざわしだして、不思議な生活リズムの住人だなと思っているけれど、いつも楽しそうな話し声や、ワクワク感を含んだ生活音で、うらやましさを感じていた。でも今は、うらやましさじゃなくて、私もそんな音(人に迷惑かけないようにしつつ)出していきたいなと前向きに思った。
ハーゲンダッツのクリスピーサンドの新商品「フォンダンショコラ」を食べた。チョコにもアイスにもコクがあって、でも触感も味も良い意味で軽くて、食べやすい。美味しかった。
今の私は、何年かぶりか、いくらかぶりかに、水を得た魚だ。
今日は、ここ最近で初めて、時間を自分の思うように、有意義に使えてる気がした一人の休日だった。家にずっといたが、時間の経過があまり怖くなかった。その起きているほとんどの時間分、生活してる、生きてるぞーっていう体感がどっかにあった。久しぶりだ。明日の来るのが怖くも苦しくもない。ずーっと眠っていたい・何か全てに許されたいという気にもならない。一人で、つらいとも、腐ってるとも、そんな思わない。発狂に至る気配もない。理由もわからない激しい気分の起伏に襲われ苛まれることもない。現実感のない世界や、どっか別の第二の世界に放り込まれて、取り残されているような感覚にも陥らない。過去にも今日にも未来にも自分には何にもないような、常に何からも浮いていてどうやってもつかなくて、切羽詰まって、それでもどうしようもできないような、息苦しさがない。
久しぶりだ。よかったなあ。嬉しいなあ。ほんと、よかった。

2017年 11月 25日 (sat)

1,405円
本日の支出
おーいお茶ほうじ茶Family Mart/表参道129円
電車賃/表参道1,276円
合計:1,405円

なんか緊張して、体がこわばって、街にあるもの全てに距離感があって遠くて、なんだか気持ちが悪くなって、少し行くのをやめたい気にもなった。なんでそんな気持ちまでになったのだろう。自分の人生が、今日という日に、どうにかしら左右されるというのを、体全体で嗅ぎ付けていたのかもしれない。
今日は、コピーライターを養成する講座の体験に行った。
「こだまでしょうか」というACジャパンのCMは、当時CMに全く気を払っていなかった私でさえ覚えているが、そのコピーも担当した(?)玉山さんというコピーライターのお話を聞くことができた。2時間弱。彼は、まったく飾り気のない親しみやすいしゃべり方と、それでいて、ちょっとやそっとじゃ誰にも倒されないような芯を持ったような雰囲気を発する人だった。
録音撮影禁止だからこそ、余計に、大事なことを聞き逃してたまるかという気持ちになって、結果色々と吸収することがあった。
講義中、一つ課題も出されて、10分で「年賀状を出したくなるキャッチフレーズ」を考えるというものだった。3個まで提出していいということだったが、他人に見せられる最低限のレベルと判断して出せたのは2個だけだった。本当に悔しかった。まず、数もクリアできないのか、と。玉山さんも同様の課題と時間制限で、5つくらい発表していた。もっと鍛えたい。もっと考えたいと思った。
終始、魅力的なトークがなされた。全部を全部、100%で「うんうん」としたり、共感したりできたわけじゃないけれど、そこもまた面白くて、あぁ、来てよかったな、と思った。例えば私がそれは少し違うんじゃないかなと思ったのは、玉山さんが「普通の人こそコピーライターになれる」と言ったことだ。実際、玉山さんのバックボーンはそんな“普通”ではないと思ったし、“原体験”的な衝撃を実際に身を持って経験した人だからこそ、書けるコピーがあって、できる仕事があったりするのでは?という風に私は解釈した。だから、「普通の目」と「普通過ぎない目」が大事なんじゃないだろうか。
でも、とにかく、コピーライターって仕事がこの世にあったんだなぁと心から実感できて、そんな生き方もあるんだなあとホッとした。自分が、とっても合うような気がした。
しかし、
今日最も私にとって圧倒的な体験は、その後にあった。
玉山さんが忙しそうに会場を後にして、「ああ、個人的にお話できなかった。」と思いながら、今日の感想を提出用紙に記入していた。気づけば、会場に私一人だけが座って書いていた。それで、やっぱり、実際の養成講座を今後も受けたい!と思って、具体的に検討するためにも、ちょうどその場にいた宣伝会議の方に声をかけた。
そしたら、いつのまにか、
気づいたら、私は宣伝会議のTさんという方に進路・人生相談をしていた。笑
講義は21時終了したはずなのに、帰るころには22時半になっていて、1時間半もお話に付き合ってくださった。この方は、本当にびっくりするくらい親身に、講座内容関係なく私のまとまりのない相談に乗ってくれて、思いがけない時間だった。以下に少々話になったことを残す。
―「普通の就活をしない分、他の人が他でしてる分、それ以上に努力して成果にしなきゃいけない。」
―「社会は本当に厳しい。すごく厳しい。キツイ時なんかたくさんある。それでも、やり続けるのは、それ以上にそれ(コピー)が好きで楽しいから。それがあるからずーっとやれる。それがあるかが大事。」
―「今日学んだことを、今日、自分の引き出しにして!そうする努力をすぐして!」
―「今、『耳をすませば』の“しずく”なのかもしれない。必死で模索して、物語をただただ書きまくる“しずく”の時。」
―「…そんなあなたのような人にこそ、コピーライターになってほしい。」
この方とのお話を通して、上記以上のこと、広告業界の実態も少し知ることができ、さらには、自分についても、より考えさせられ、知ることができた。
この出会いが、
私の埋もっていた一番大事な気持ちをすくい上げてくれた。
最高のトリガーとなってくれた。
本当に、Tさんには今後ずっと感謝したい。
知り合いでもない目の前の人にそうやって親身になって、一生懸命になってくれてありがとう、と。そんな姿勢のおかげで、少なくとも私は救われました、と。
それで、私は初めて、自然に、決心に至った。
あ、自分、コピーと向き合っているときだけ、楽しい。
好きだ。
これで生きていきたい。
これこそ、やっていきたいことだ。
というように。
今まで、ムクムクと大きく膨れ上がって、ごちゃごちゃに絡み合って、何が何だか、わからなくなっていた私の気持ちや考え方、自分では扱い方がもうわからなくなっていたものが、
一気に静まって晴れやかになっていた。
明快になった。
一番、大切にしたい、自分の部分がわかった。

その帰り、薬局の前で財布が落ちていた。誰かが一度拾って脇に寄せたような様子だった。それで、私はその財布を交番に届けに行った。お礼とか所有者の情報とか、何にもいりませんと警察の人に言って、軽く書類にサインした。そして帰路についた。
今日を節目に、もっと、人として、自分を強く持って、一生懸命に、元気に晴れやかに、人生を生きていきたいと思った。そして、そうできるような気もした。
生きてるんだか、死んでるんだか、わからない生き方をやめる。
自分にとっては、死ぬよりも、何にもない時間と世界、腐っていても抜け出せないこと、が何よりも1番恐い。恐かった。
それを、長い時間かけて気づけて、実感して、そしてここに来た。
生きてればいいってもんじゃない。
生きて、生き生きしたい。
生き生きしたコピーライターになりたい。
本当に今日がこんな日になってよかった。
この日を迎えられてよかった。
私は、
生きて、
生き生きします。
ここに記しておきたい。

2017年 11月 24日 (fri)

3,558円
本日の支出
ピザポテト、コンソメポテチ、チョコフレーク、薄力粉、クラフト切れてるチーズ、メイトー濃厚4.4牛乳、ハーゲンダッツクリスピーサンドフォンダンショコラ、PARM抹茶ティラミス、ジャイアントコーン、MOW、納豆、グリーンリーフ、アヴォンリー・キースの保湿ペーパー(箱ティッシュ)、玉ねぎ、カリフラワー、ブロッコリー、アスパラガス、もやし×2、こんにゃく、木綿豆腐×2、バナナ、キッチンブリーチ、トイレットペーパーエスポット/相模原3,558円
合計:3,558円

ちょくちょく気になることなのだが、報道番組の字幕スーパーは、なぜスピーカーの話した通りに、できるだけ忠実に表されないのだろうか?口ごもりや言い換えや方言なども含むが、話し手が使った言葉が字幕になると、全く違う言葉や極端に短くなった状態になっていることがある。もう、ビックリ!だ。字幕を付けている人に言いたいのだけれど、あなたに何がわかるの?と。そりゃ、頑張って、できるだけ視聴者にわかりやすい字幕にしているのかもしれない。けど、それ以上に、その話し手が自ら選んで使った言葉の真意や背景や、そこに込めた思いを、どうしてあなたは完全にくみ取れて簡単に言い換えられると思っているのか、私は問いたい。もはや、字幕だけを見れば、違う情報や、違う人がしゃべっているかのように捉えられる。“わかりやすく”は、どうわかるようにすることなのだろうか?もう一度考えてほしい。スピーカーが伝えたかったことを、少なくとも文面上で、できるだけそれ以上でも以下でもない形にすることの重要性を再度顧みてほしい。前々からそう思っていたので、ここに今日書いておく。
今日は、カウンセリングがお休みになったので、授業後早めにスーパーに行って、買いたいものを買った日だった。お菓子とアイスへの支出がすごい。そして、甘いものに関しては、「あれば食べる」が体に染みついてる私は、買った日に手に入れたほとんどを消費する…なんて体に悪いのだろう。今回はそれを懸念して、少々控えて、明日にも何個かとって置けた。成長か?
あと、自分的大ニュース。「普段買ってるやつの2倍も高いティッシュを買った」!今まで、ティッシュに最安値以上のお金を出すことを、どこかバカにしていた(?)自分なのだが、ふと、目に留まった「白を基調としたこ洒落たティッシュ箱」が気になってしまい、今回の購入に踏み切った。なんの心境の変化だろう。そして…結論からいって、購入してよかった。もはや、病みつきになった。怖い。今後、ティッシュといったら、こんなしっとりとした、なんの摩擦もないような柔らか素材しか、認められなくなる自分が出てくるかと思うと。怖い。そういえば、自分は鼻炎になったり、乾燥肌になりやすく、鼻の周りが特にカサカサすることが多いことを思い出した。だから、いっか。ティッシュは豪勢にいこうぜ。言い訳。そんでも、高いティッシュがこんなにも生活を豊かにするなんて!おすすめ笑。そういえば、小さいころ、周りで「鼻セレブを食べる」ブームがあった。甘いんだ、と。私は、友達から1枚もらって(この時はまだ、高いティッシュはティッシュと認めていない。)舐めたことだけあった気がする。甘い気がした。周りのみんなは白ヤギさんのようにティッシュを食んでいた。なぜ、人は甘いと聞くと、食べてもいい気になるのだろうか。たぶん、これはあまり体に良くないだろうから、おすすめしないけれど、現象として面白かったな、と思い出した。
今日読んだヤフーニュースの「日本のアパレル業」に関しての記事はちょっと興味深かった。
ところで、最近は「ハレ」と「ケ」というワード、すごく目にするのだが、流行りなのか?社会学系の分野を学んでいて、現実を新たな言葉や視点で表現・説明できるようになるのは面白いことだ。だけど、リアルな日常での現象や傾向などの説明に、学問的な用語・法則名を用いることで、無理やりそれにあてはめ都合の悪い部分はスルーして、ただカッコつけているだけか、本当に有効な法則の当用になっているかは、また別の話だ。
そういえば、「ポケ森」をやりだしてしまった。「なつかしさ」の引力に、あらがえなかった。しばらくやったら、ポケモンGOの時のように、プツンとやめるのだろうが、それが見えてても、やりだしてしまった。

2017年 11月 23日 (thu)

0円
本日の支出
合計:0円

今日は珍しく、学校が祝日を祝日として休ませてくれた日だった。たいてい、国民の休日とやらは、うちの大学では対象外なことが多いのだ。
とにかく、一日中、また家にこもって、読書やら睡眠やら、できるだけ好きに使った一日だった。贅沢だねー。だけど、最近はもう、これでいいじゃん、誰にも咎められず、自分も含め、責めず、やりたいことをその時その時にして、人生進めていこうって気持ちになってきている。
ところで、しばらくぶりに、マレーシアに留学していた半年間時代に知り合った、ムスリムの友達とLINEした。私も彼女も忙しいのもあって、全然連絡を取れていなかったのだが、久しぶりでも、なんら抵抗なく、おしゃべりしたり、しゃべりたい話題があったりするのは良い。今日、改めて気づいたけれど、マレーシアで知り合えた5人くらい…そのぐらいの人が、今でもこれからもずっと連絡を取り合っていきたいと素直に思える面々かもしれない。そして、そんな出会いをあの半年足らずでできたということが、自分にとってどれだけ有意義な時間だったかっていうことを、強く感じさせてくれる。
今回の子に関しては、何でも知ってるとか、何でも思った通りしゃべれるとか、何でも通じ合えるとか、そういうのじゃないけれど。(というか、そんな関係なんて、結局、何年生きたって、死ぬまでにあるかないか、そう思えるか気づけるかどうか、くらいの次元の関係性なんだろう。)彼女は、思いやりを持ち、こちらに対していつも歩み寄ろう歩み寄ろうっていうような姿勢で、当時私との時間を共有してくれていたように思う。今もそうだ。見捨てるとか、頭によぎらせず。
彼女には、留学中大変お世話になった。私が、LGBTについての調査をするのにあたって、LGBT関連のフォーラムとか、インタビューをするとき、彼女が通訳してくれる人として、いつも手伝ってくれた。私の英語の理解力はまだまだだったし、マレーシア事情やLGBT事情は、やはり独特で、英語だけ出来たって十分ではないところもあって。そんなとき、彼女が語学面でもその色んな背景事情の理解面でも、すごく力になってくれた。彼女の要約力や、要点をまとめて整理して、それをさらに人に上手に伝える能力は、非常に優れていると思う。もちろん、日本語が上手だったのも大きいのだが。とにかく、彼女に頼りっぱなりの時があったと、久しぶりに思い出した。
当時、あまりに調査に必死になって、彼女をいろんなところで手伝わせてしまって、「友達というより、ただ便利に利用されているように感じる」というようなことを彼女に言わせてしまったことがあった。その時、私は怒りや悲しみにも似た感情が心の中で沸いた。だって、「私の信頼する友人の『彼女』だから」頼んだのに、そういうことを言われたからだ。しかしながら、それ以上に、友人として、私からの思いやりが彼女に全く伝わってなかったのかもしれない、そう感じさせてしまったのには、私があまりに調査に追い詰められて、それを言い訳に、人への気遣いを怠っていたところがあったのかもしれない、と反省や申し訳なさが勝った。「あぁ、自分は大事な人を思いやれない人間なのかもしれない。」と。
それでも、他にも様々な経験や共有を彼女とした結果、彼女とは色んな側面を持っても、深く関われる関係になったと思う。
とにかく、今日は久しぶりに、マレーシアでの出会いに心の中で感謝した日だった。

2017年 11月 22日 (wed)

1,667円
本日の支出
紅茶花伝ミルクティーホット、こんがりチーズの海老ドリアセブンイレブン/渋谷574円
電車賃1,093円
合計:1,667円

今日は、授業中に自分の意見をまとめて発言しなくては行けなかったり、前に休んだ分の課題を提出しなくてはならなかったりで、やることがいつもより多い授業の日となった。お昼は、セブンさんにお世話になった。
帰りの電車の中で、「博報堂生活総合研究所」の年末特別企画についての記事を偶然読んだ。
2017年は「サンキュー・テック」と「トキ消費」が目立ったという。面白い記事だった。
「サンキュー・テック」とは、「『補助』『代行』『拡張』など生活者を多様に支援してくれるテクノロジー」のことで、ここの独自の「2017年ヒット・トレンドランキング」内にある「ドローン」「高齢ドライバーの事故防止策」「電気自動車」「自動運転システム搭載車」がこれに当てはまるという。「サンキュー・テック」というネーミングも、なんだか耳触りが良く、好感を持った。これから、AIや世の中のロボットたちがどんどん成長していく中、人とロボットの共存の仕方や関係性というのがよく話題に上るが、その一つがまさにこれなのだろう。日本人は「恩」を大事にすると言われる時があるが、今後、ロボットにさえ、恩義を感じ、時に「恩返し」をする時代が来るのだろうか。
最近、「AIがもっと発達していくと、人間の労働にBI(Basic Income)が設けられなければ、人間は超貧困層と超富裕層に分かれ、地獄のような時代が来る…、しかし、うまくAIとBIを取り入れることによって、超便利で良い時代が来る」という話も耳にした。かつては考えなくてもよかったことや、そんなことを考えることすら考えつかなかったことが、これからは新しい世の中の在り方、そして、ビジネスの中心・様々な人間の暮らしを大きく左右するエレメントとなっていくということは面白い。
そういえば、何日か前から、消えるボールペン「フリクション」に対して、良いコピーは何だろうと一人で考えているのだが、「ペンで書いたものが消える」という現象について思いを巡らすと、私が幼稚園の頃にはそんな感じのもの自体なかった気がするし、小学校くらいには、透明のインクが出るペンで何かを書いて、その後特殊な光を当てるとその文字が浮かび上がったときなんか、キャッキャしたなぁ…、なんてことまで思い返されて。中学校くらいになって、やっと「フリクション」という文房具の存在を知って、それでも、まだまだ消えるペンなんて、信頼できず、値段もそれなりだから、当時買わなかった、気がする…。もちろん最近には、フリクションは、逆に知っていて当たり前になって、鉛筆・フリクション・ボールペン・筆ペン、くらいに、書くツールの一ジャンルくらいに、なっている気がする。
こんなことを考えていると、「スマホ」の出現とダブるところがある。テンキー・文字盤(?)がない画面だけの携帯なんて、出てきた当時、「絶対流行んないだろうなー」って、ちょっと鼻で笑っていた気がする。笑 だって、画面の反応だって悪そうだし、細かい字を打つのだったり、操作だったりも面倒くさそうだったから。あの頃は、二つ折りで画面側がシュッと簡単にスライドしたりするタイプの携帯がかっこよくて、「いつか携帯を持てるようになったら、あんなのを買いたいな。」なんて子供心に思ったものだった。それが今や、iPhoneの次の世代が出ると、すでにiPhoneなるものは持っているのに、またまた新しいのを追いかけたくなっている。笑える。
というか、世の中の大きな変化に、自分が携わっている…というのは大げさだけれど、身を持ってそれを「体感できている」、ということが面白い。私の親の世代は、白黒テレビだとかカラーテレビだとか、牛肉が超高級品だとか、そんな感覚を、身を持って体験してきたらしく、そんな「時代を揺さぶる変化」に、自分は立ち会えないんだろうなーっと勝手に思っていたけれど、見まわしてみると、意外と自分も時代の渦の真ん中にいて。時は止まらない、って。まさにこれですよ。
また、かつては「新しいものや珍しいものを所有するといったhaveに価値を置く『モノ消費』」、それから、「モノが行き渡ると、経験や行為のdoに価値を求めるようになった『コト消費』」という流れがあったが、今や「その場・その時限定の盛り上がりを楽しむ『トキ消費』」の傾向が出てきている、ということがその記事に書かれていた。確かに!!!って感じ!笑 もう、インスタのために旅を計画することとか、インスタにあげるためにイベントに参加するとか、その場その場・その一瞬一瞬を楽しむこと自体に価値を見出している、というのはすごく新しい価値観だと思う。個人的には、あまりこの消費行動はしていないように思うが、今後「トキ消費」の多様化が進んで、インスタとかそういう次元でなく、価値観の根本の一部を「トキ消費」が占める時代も来るのかもしれないと思う。

2017年 11月 21日 (tue)

0円
本日の支出
合計:0円

今日は体が疲れていて、家で休んでいた。
ゼミのために、読書をした。
味噌汁を自分で作って、炊いたご飯とキムチとちょっとしたおかずと、食べた。
昨日お母さんが帰ってしまって、また今日から、改めて頑張っていきたい。いかなきゃ。
コピーライターになるとしたら役立つ講座のようなものに、来年通おうと思った。今週末無料の体験講座に行ってみる。予約をした。
今日はゆっくりした。おやすみなさい。

2017年 11月 20日 (mon)

1,450円
本日の支出
電車賃1,450円
合計:1,450円

今日は、母が帰る日だった。
午前中はのんびりしながら、部屋の掃除を一緒になってやった。
ロフトから一時的に下へ下ろしていたマットレスを、お母さんが来てくれたので2人で協力して再びロフトに上げたことによって、だいぶ部屋が広くなったように感じられる。嬉しい。空間の雰囲気がまた変わった。
模様替えは昔っから好きだ。それに、狭いところとか、なんだか段階的にスペースが分けられている所で寝起きしたりするのも好きだった。「巣っこ」なんて呼んで、狭いスペースに自分だけの寝床を作った幼少期が思い出される。
そんなこんなで色々と洗濯やら掃除もやっていたら昼近くになっていて、以前働いていた東急プラザ銀座に行って、お寿司を食べることにした。
上京して一人暮らししていると、青森出身なのもあるのか、魚介類の味には少し引っかかるところがある。一人暮らしの周りのスーパーのお魚はあまり新鮮なものが多くなく、そういうのを避けていると、普段、特に生魚は食べる機会が少ない。
ということで、少しお高めな新鮮で美味しいお寿司はお母さんなんかが来た時にしかありつけない。笑
存分に食べたいネタを食べた。一本アナゴなんて、すごく美味しかった。おっきいのに、柔らかくてトロッととろけて、ペロッといけちゃう。
それから、東京駅に行って、大丸でウロウロして、前から好きなずんだシェイクを飲みながら最後の時間を潰した。
それで、お母さんを新幹線の乗り場の方まで送った。お母さんは、「ま、頑張ってれば、いいことがあるって!」と言って、私の肩をポンっとして、それで私と握手して、改札に入っていった。それでお別れだった。
お母さんが滞在中、なにかと最近色々大変なんだよ……ということを、私は珍しくポロポロポロポロ漏らしたので、お母さんが気遣ってくれたようだった。そこに意識を集中しすぎると涙が出そうだったので、あまり考えないようにした。
言葉って不思議だ。言葉自体も本当に大事だし、パワーがあるんだけれど、
その言葉を言う人も大事。
言う人によって、その言葉の伝わり方が変わってくる。
だから、そんな今日のお母さんの言葉は、今の私にまっすぐに沁みてきて、もうちょっと頑張ってみよう、と思った、って話。
それでも、お母さんとハグぐらいしとけばよかった。うちは、シャイな家族だし、あんまりワイワイも触れ合ったりも、ずっと前からないけれど、明日なんてどうなるかわからなくて、それでも唯一無二の存在の家族がいることを噛み締めて毎日を大事に過ごすことは大事だと思うから…
もっともっと、色んな面で人を大事にできる人になっていこう。

2017年 11月 19日 (sun)

1,904円
本日の支出
紅茶花伝ロイヤルミルクティーローソン/北沢140円
電車賃1,764円
合計:1,904円

今日は、いつも私がお世話になっている美容師さんに、是非お母さんも髪を切ってもらおうということで、朝っぱらから街へ繰り出した。
お母さんは普段、散髪にお金をあまりかけず、地元の町内の美容室で切ってもらっているということだったが、一回すごく上手なところに切ってもらったらどんなんなるかと、ワクワクドキドキ、チャレンジというような感じで、一緒に原宿に向かうこととなった。
私のいつもお世話になっている美容室は客のほとんどが10代20代の美容関係の若者だが、最近は知名度も上がってきて、少しずつその客層は幅広くなってきているらしい。それでも、通常の開店時間より早くに今日はカットをしてもらえるということで、落ち着いた店内の中お母さんはカットしていただいた。
結果、お母さんは大満足のようだった。ホクホクとした表情で、美容室を後にした。もともとショートカットだったので、さらに短くなって、自分史上一番短い髪になったとお母さんは言っていたが、全く違和感なく、とても似合った髪にしていただいたという感じだった。本当に上手くカットしていただいて、いやあ、今日急遽だったけれど、連れてきてよかったと思った。何枚も写真を撮ってあげた。お母さんの嬉しそうな、満足げな顔を見ていると、最近で一番幸せな気持ちになった。大切な人が喜んでいるところを見るとき、自分が喜ばせられたとき、私は本当にハッピーなあったかい気持ちになる。それが久しぶりだった。
そこから、渋谷駅の方まで歩いて、鶏のランチを食べた。前にもお母さんとかと来たことがあったお店で、ランチが本当においしい。
その後には、15時半から下北沢のカフェで予約していたので、その周辺で時間をつぶそうかと、下北に行った。古着屋さんを転々とした後、他にそんな行きたいお店も特に見つからなかったので、一度代々木公園の方へ行って、雑貨屋と「366日」というパン屋に行った。お母さんはパンがすごく好きで、東京に来るといつも、何件かピックアップしておいたパン屋に行こうとする。そして、今回のこのパン屋にも時間があれば行ってみたいということだったので、行ってみるとたくさん人で列となっていた。結局、何種類ものパンを買った。その中でも、ある食パンはトーストすると、全くぱさぱさせずに、カリカリもちもちでふわっともして…美味しかった。残りを冷凍にしたけれど、自然解凍してもその美味しさは変わらずだった。良いパン屋を見つけた!また、行きたいと思う。
そして、15時半になると、下北に戻ってきて、「Neue(ノイエ)」というワインとスイーツが楽しめるお店に行った。お母さんが何かのメディアで情報を得たらしく、私が先週くらいに予約を取ったところだった。そこは、若いお兄さんが一人で仕込みも営業もやっていてたくさんの人は一気に入れないのだが、ゆったりとした素敵な雰囲気を楽しめる空間だった。
そして、目玉である、スイーツ。パフェが…すごかった!もう、初めての感じのパフェ。たっくさん、色んな果物やクリームやアイスや具材がのっているんだけれども、その味は食べたことないくらい、繊細に調和した味だった。色んな大きさの味がした。なんだか、口に入れる直前から口の中から完全に消える直後まで、知らないうちに集中していて、丁寧に食べて味わいたくなるような、パフェ。初体験。もう、なんだか、私には高尚ささえ感じた。そこでは、パウンドケーキなんかの焼き菓子も販売していて、ほとんど全種を一個ずつ買って帰った。
こだわりが強くて、自分を持ってて、マイペースな感じの店主のお兄さんは、帰るときになって少ししゃべってみると、とっつきにくさはまるでなくて、人間的に可愛らしい感じの人で。さらに、いつか、また食べに来たいなと思わせられた。
自分が好きなものに対して一生懸命になれて、一生懸命に毎日を生きてる人って本当に素敵だ。私もそうなれたらいいな。将来的になっていきたいな。とも思った。
そして、夜は家でお母さんが作ってくれたみそ汁と、買ったパンやケーキを少しずつ食べた。こんな夕飯も、本当に良いね。というか、家族との食事は、なんだっていいね。
そんな1日。

2017年 11月 18日 (sat)

1,502円
本日の支出
電車賃1,502円
合計:1,502円

今日は、2か月ぶりくらいに母に会った。母が上京してくれると、母の色々行きたいところとか食べたいところとかに程よく行きつつ、並行して、私の生活を部屋とか食事面から整えてくれる。さらには、精神面も、普段の緩急のない生活の時とは違って、満たされる部分が感じられる。自分にとっての、その存在のありがたさを改めて実感する。
具体的には今日、私は何も食べずに家を出て、11時に上野で母と待ち合わせした。実は、あるお芝居を見に行きたがっていたのだが、人気過ぎてチケットが取れなかったため、急遽、国立西洋美術館にて開催中の「北斎とジャポニズム」展に行った。
いや。よかった。行って。
もう、本当に、全部見終わったとき、そんなことを心全体で思えた。朝ごはんもお昼も食べていなかったけれど、お腹の空き具合なんて全く気にならなくて、人で込み合う中、2時間半以上私は北斎の画にひっついていた。最終的に、誘ったお母さんが「まだ、出てこないの~?」と、展示フロアを出たところで30分以上催促していたくらいだった。この展示は、北斎と北斎が描いた色んな作品から影響を受けた海外の有名な画家の作品を並べて、よくその類似性と北斎の偉大さがわかるようにディスプレイされていたのだが、私はほとんど北斎ばかりを凝視していた。最後の方は、時間の関係もあって、絵画を飛ばして、北斎をはしごして歩いた。
正直、私は今までを振り返っても、美術館というものに惹きつけられたことがなかったし、わざわざ美術館に行きたいとか、博物館に行きたいとか思わなかったし、何かの付き合いで行ったとしても作品の見所がよくわからず、なんとなくすべてに目を落とすけど、その場を後にするともはや何の印象も残っていない…という経験ばかりで、まあ、要は、絵とかに興味が湧かなかった。
それが、今日の北斎は違った。たぶん、北斎だったからだろう。(あと少しは、時間が経って、私の視点も以前に比べたら豊富になって、感性も広がったのかもしれない。)その、画のうまさとなんとも言えない圧倒的な魅力、人を惹きつける何かは、向き合ってみて初めて、なぜここまで有名で騒がれているのか、ストンっと胸の内で理解できた。
素人ながら、私の感じたことを率直に言うと、北斎のどんな作品も、「無駄が一つもない」ように感じられた。全ての線や色や点や向き、表現が、その主張の強弱は様々に、しかしながら、すべて必要で、どれも表されるべくして表されている、という感。だから、驚くべき程に繊細で細かいところまで描き出されているのにも関わらず、なんだか、すっきりと、見せたいものが明快である印象を受けた。と同時に、非常に、肯定的な意味で、現実的というか、「そのまま」が描かれているという印象があった。絵と写真の間のようだった。北斎と言えば、歴史の教科書とかで、富士山と波ばかり見たことがあって、それ以外全く触れたことがなかったものだから、北斎の描く人間・動物・植物にこんなにも惹きつけられるとは思わなかった。結局、この鑑賞体験を終わるころには、そんな富士や波も好きになったのだが、何よりも、北斎の作品の中では、生き物がいっちばん可愛らしい、「それらしい」瞬間を描かれていて、見れば見るほど、人間が愛しくなってくるような、好きになってくるような。そんな感じだった。北斎はただただ人間を観察することだけでなく、人の体の肉や筋肉の付き方を学問的にも勉強したらしい。もう、そんなバックグラウンドは、画からすぐわかった。人間って、いろんな種類の線からできているんだな、そう思わされた。そこに、一つもフェイクの線がなかった。無駄が一つもなかった。必要な分だけ引かれた線、すべてに説得力があった。写真で、捉えることが本当に難しい、生き物の愛らしさが現れ出る一瞬一瞬を、北斎は「描く」ことによって最大限に表現し、今日まで残し、我々にも気づかせてくれているようだった。もう、その感性と技術と着眼点・観察力には脱帽だった。これこそ、まさに天才的と言うのだろう。そこにある、圧倒的な何かに震えた。それでいて、全くかっこつけてない北斎の表現たちが、本当に魅力的だった。感動だった。
ここまで、一人の画家に、その表現に、考えさせられたのは初めてだった。ある画家の作品を通して、現実の、人間をはじめとするあらゆる命の愛らしさ、また、現実の色んな場面の面白さ・可愛らしさ・素晴らしさにまで気づきをもたらしてくれる美術鑑賞は初めてだった。思わず、帰りの本屋で「北斎漫画Ⅰ」を買って帰ったほどだった。いつでも、そんな人間の可愛らしさを思い出せるように、と。
「好きな画家、いる?」そんな質問をされる時が来ようものなら、今なら、生きてきて初めて「うん。」と言いたくなる。今日の今日で、まだまだ全然知らないけれど、きっと、ずっと、北斎のことは好きだと思う。時々何か考えが行き詰まったりしたら、彼の作品から色んなアイデアや希望を得たいと思う。
今日は、そんな素晴らしい出会いの日だった。
美術館だけでなく、上野の美味しいカフェ、恵比寿の服屋、代官山の本屋、自由が丘の服屋とピザ屋などなど巡った。母、上京初日にして、非常に充実した1日だった。母が来ると、ご飯や本代などのお金を出してくれる。本当に感謝。

2017年 11月 17日 (fri)

108円
本日の支出
麦チョコセブンイレブン/相模原108円
合計:108円

時々到来する、麦チョコブーム。最近色んなところの麦チョコを買うようになって、初めて麦チョコにも色々種類があるのかなとわかってきた。それ自体の軽さと、中の空気感の硬さと、チョコの甘さと、粒の大きさ・粗さと…笑 とにかく、麦チョコってなんか美味しんだよなあー、って話。
そういえば、「ブレーン」という雑誌でC-1グランプリというのをやっているのを今日知った。毎月の課題にあったコピーを、プロアマ問わず誰でも応募できるものらしい。これから、どんどんチャレンジしたい。毎月というのがいいよね、すぐ結果が実感できるし、継続的に自分の生活の一部になるし。
最近は、人と話す機会が少なくなってきて、わざわざ話に行くことも面倒くさくなってきてしまって(だめだなあ)、その代わりに今は本を読む時期なのかもしれないと言い訳し始めている。こういう時は、本を読んで、本から「対話体験」に近いものを得ようじゃないか。ゼミでも色んな本を読むように迫られていて、ぎゅぅぎゅぅされていて、結局ゼミ関連の本は借りるだけで満足しているところも大きいのだけれど、とにかく、以前より図書館を利用するようになった。図書館って素晴らしいってことを久しぶりに思い知った。中学校くらいまではよく県立図書館だったり、学校の図書館も、小説・物語を借りるためによく利用していたものだけれど、最近はめっきりだった。趣味は読書とかって全然言えないくらい、本に全く触れる機会がない時期もあったと思う。そんで、先月・今月と、大学3年目にして、大きい図書館があるって素晴らしいんだなー、社会人だとこの環境も当たり前じゃないんだなー、有効活用しないと!という気になった。購入希望を出すと、意外にもポンポン買ってくれて、嬉しい驚きの連続である。太っ腹だ。暖房冷房にはほとんど回してくれていないような高い学費が、初めてほんの少し報われた気がする。笑 とにかく、もっと意識的に本を読んでいきたい。また本にのめりこむ自分を思い出したい。そんで、自分の人生の時間、有意義に使っとるわーってもっと思いたい。…センスの良いしおりを誰かからもらえたらいいなあ、って、普段特定のしおりを使わないくせに思い立った。どっかの人が、そんな他愛のない私の気持ちを、ビビッ!と感知してくれないだろうか。と自分勝手なことを思っている。
今日はカウンセリングの日だった。依然やったSCTという心理テストは、文頭のような言葉がいくつも書かれていて、それぞれの文頭の続きに自分的合うような言葉や文を、自分が書きたいだけ続けて書く、というものだったのだが、前回と今回のカウンセリングでは、それを話のきっかけに、どんどんさらに私が思いつくものをおしゃべりする、ということをやった。やっぱり、本当にカウンセリングって面白いし、私にとってはすっごく良い時間。過去の自分を思い出して知ることもできるし、それだけでなく、それに対して現在の自分の解釈を加えることで、今の自分を知ることもできる。一石二鳥感。
そんな感じで、自分のしゃべりたいことを話していたら、過去に自分が考えていた、あるアイデアを何個も思い出すこととなった。
その全部は話せないけれども、一つここに残すとしたら、「世の中で、『生』があまりに肯定的で、『死』があまりに否定的なものになってないか?」という話である。多くの人が、できるだけ長く生きることに躍起となっていて、病気だって死にたくないから治したいし、できるだけ病気せずに長く生きて自然に永眠できたら最高の死の迎え方だし、親戚とかが亡くなったらすごく悲しくなって知り合いたちはたくさん泣くし、「自殺」はすごく良くないものだって、報道されたり語られたりする。色んな科学が、制度が、考え方が、色んな形で人を生かし続けるために、その方向へ発達し続けている。
しかしながら、「なんでそんなに生きなきゃいけないのか?」、別に、積極的に「死にたいんだ」という話ではなくて、ただ純粋に、『なんで当たり前に、人って「生き続けようとする」の?』、『生き続けることが良い悪いでいう、「良い」ことのようになっているのはなぜ?』、という視座の話。いつからなの?その根本は何なの?…
「生きる」ことは望まれることだし、望まなきゃいけないことだし、積極的に自発的にしていかなければならないことだ、と。もう何よりも当たり前になっていて、ほとんど誰も、それに関して疑問はない。「死」があちらから「来たる」その時までは、「生きる」、これに対して、なんのツッコミの余地もないようだ。これは、なぜなんだろう。そうすると、必然的に(?)対概念的「死」が完全にマイナス扱いになって、煙たがられて、できるだけ避け続けられる。「生」にポジティブな価値があって、なぜ「死」にはないのか?ネガティブになっているのか?なぜ、「自分」でその「死」を選ぶことがそんなに悪いことなのか?自殺を考えることが、なぜそこまで自責の念に駆られることなのか?もっと、すべての選択肢を持って、気持ちよく、自分の人生の終末を決めることはできないものか?色んな宗教的な解釈もあるだろうが、宗教とか関係なくとも、どこか別のところにこの生死に対する感覚があるように思える。でも、周りの環境や人々の声や歴史にそれが形作られている部分が大きい、とも思う。
以前、テレビで、どこかの国のある部族が、その村の長老が亡くなったからと、こちらで言う葬式のような「お別れのセレモニー」をやっていた。それでも、そのセレモニーのあり方は、全く日本のそれとは違って、誰も泣いてもないし悲しんでもなくて、むしろ、どんちゃん騒ぎで、村は笑顔にあふれたお祭り状態だった。なぜなら、そのセレモニーは「あんなに元気だったのに、今はもう静かになってしまったあの人への悲しいお別れの儀式」なんてものじゃなくて、「年齢分、素晴らしい人生を全うして、素晴らしい人になった人を称える儀式」のようなもので、嬉しい瞬間・イベントという位置づけのセレモニーだったからだ。喜ばしいものなのだ。私は、「死」の捉え方にも、まだまだたっくさんあるじゃないか、と気づかされる。客観的「死」だけでなく、主観的「死」に対しても、もっと、色んな見方がなされて良いじゃないか。
例えば、生まれつき持病があって、余命が常にわかっていて、長くはない人生を過ごした少女が不幸なのか、実際に不幸だったのか、意味のないものだったのか、生まれなかった方が良かったことなのか、それは彼女以外の誰かが口を出せる事じゃないだろう。そんな人生を辿った・辿る全ての人が、生まれた時点でその人生は不幸だと決められているのなら、そんな人々の声なんて、くそくらえだ。尊厳死だとか、安楽死だとか、「死」が入ってきただけで、すぐブルーな雰囲気がイメージづけられている。だけど、ほんとに、「死」って、それ自体でそんな「悪い」ものなのだろうか?「生」と同じくらい、違う角度で、「死」が肯定的に、少なくとも、否定的ではなくまっすぐに、その価値や重みを受け入れられるようになれば・捉えられれば…もっと多くの人が楽に生活できると思う。自分の人生を、自らの選択で形作っていけると思う。今日を楽しめると思う。生きられると思う。
「なんで、人は当たり前に、生き続けようとするの?」
そんな疑問が、ずっとあって。別にそれを否定したいわけでもなくて。ただ、その芯に、少しでも迫ることができたら、たくさんの人が、人間や自分や人生、色んなものを、もっと大事にできると、好きになれると、そう思う。
そんなことをいつか研究したいと、入学当時そういえば思っていた。というのを、今日は思い出せた日。

2017年 11月 16日 (thu)

108円
本日の支出
麦チョコ購買会/相模原108円
合計:108円

私は、登校すると、校門にいる警備員さんに挨拶をする。学校から出て帰る時も、警備員さんに挨拶をする。その時、大きな声で挨拶できるときもあれば、なんだか声が小さくしか出せないこともあって、それでその日の自分の気持ちや具合がわかったりする。大きなはっきりとした声で挨拶ができて、警備員さんもちょっとほころんだ顔で挨拶を返してくれると、心が少しあったまる。そういう感覚が好きで、毎回校門を通るのは日常のちっちゃな素敵瞬間。挨拶って素敵。挨拶を大事にする人も、挨拶がきちんとできる人も素敵だと思う。できるだけ、いつもそんな自分でありたい。小さいときに比べて、最近は全然素敵な挨拶ができなくなった。もっと、そんな素敵な人でいよう。
そういえば、人と人のコミュニケーションにおいて、「それ言いましたよ。」「言ったんですけどねえ…」とかっていう場面に時々出くわすことがある。まあ、理由は色々あるし、一概に言えないことなんだけれど、「言えば」いいってもんじゃないだろう、ってツッコミたくなる時があった。というか、コミュニケーションにおいて「言う」というのは、「相手に伝える」ということであって、単に「自分の口に出す」ってことではないと思う。ぼそっと、口にはしたけれど、相手の耳に届くには十分な声・伝え方じゃなかったなら、それはもうほとんど「言ってない」こととイコールじゃないだろうか。それなのに、「言ったもん。」ってのは違うだろう。挨拶なんかまさにそうだ。それに、聞こえる音量で言ったのだとしても、相手がすごく忙しそうにしているとき、何か考え事をしているとき、タイミングが良くなさそうなときとか、そんなときにかけた言葉が後々伝わってなかったとわかっても、それは必ずしも相手のせいじゃなくて、部分的には自分も反省すべき点、というか、何か他にやり方があったかもしれないということを考えなければいけないと思う。タイミングを見直すことだったり、伝え方を工夫したり、相手の記憶にきちんと残る形を意識したり、そんな心がけ一つでコミュニケーションがもっと豊かでスムーズな、両者にとって良いものになるだろう。コミュニケーションって、常に双方の協力で成り立って良いものになるということを忘れちゃいけない、って今日改めて思った。
あと、「きちんと」とか「しっかり」とかいう言葉があるけれど、すごく便利で使ってしまう。使われているのもよく耳にする。けど、中学の時、生徒会の顧問の先生に「きちんととか、ちゃんととか、しっかりとか。使って話をするのやめなさい。」って言われたのを、今でも印象的ですごく覚えている。そう言われた時から、これらの言葉が思わず出そうになった時は、毎度、妥協か「これが今の自分のそのままの気持ちだから、仕方ないモン!」で使うか、「使わない!言いたいこと“ちゃんと”伝えるためにもっとよく考えるゾ!」と思って使うのを避けるか…どちらかの選択をしている。その曖昧さが生んでいる使い勝手の良さは、それはそれでほんとに凄いんだけれど、それらの言葉が「自分の言葉で表現し、伝える機会」を少々減らしていることも自覚しなければならない。また、それらの言葉は、「常識」や「私の当たり前の感覚・程度」が相手とも共通であることをまず前提としていて・期待していて、毎度「きちんと」が一体どれくらいなのか、本当に知れる者はいない。「当たり前」の押し付けになっている。結局、「きちんと」によって伝わっていることはほとんどないような気もする。だから、それをあえて、自分の言葉で表現してみたらどうなるだろうか?、そうやって足を、口を、一度止めてみると、本当の自分の真意が見えてきたりする。とずっと頭の隅に置いておこう。
今日は載せられる写真が何もなくて、キッチンにおいてある、ミニチュア世界を撮った。地元にあって母の日だけ毎年利用させてもらっている花屋の店主さんから、大学入学祝いにもらったもので、本物の苔の孤島でバケーションを過ごす仲の良い家族、みたいなミニチュア世界が可愛らしい。いつか、もっとでっかくしたミニチュア世界を、自分の家を持った時作ってみたいな。

2017年 11月 15日 (wed)

2,306円
本日の支出
あったかいロイヤルミルクティー自動販売機/渋谷120円
お〜いお茶ほうじ茶ホットセブンイレブン/渋谷129円
デラックスチーズビーフセットマクドナルド/渋谷790円
電車賃1,267円
合計:2,306円

今日は久しぶりに、いつものではない遠くのキャンパスへ授業を受けに行った。お昼は、友達と渋谷のマクドナルドに行った。久しぶりのマックのバーガーとポテトはしみる。ポテト好き。子供のころから、ジャガイモ系を食べすぎて、お父さんは私のことを「いもねーちゃん」と呼んでいた。懐かしい。
遠くのキャンパスに行っただけで、本日の消費金額が大きく違う。すげー違う。いやー。すごいね。交通費、高いなあ。
そういえば、気づいたら右手の人差し指がささくれていて、皮がちょっと剥けて、赤くなっていた。水はそんなしみないけれど、お風呂を洗っていた時、強い消毒の洗剤がその部分に触れて、なんだか不安になった。お皿を洗っていた時、イガイガの針金スポンジみたいなものを使っていたら、傷口に刺さったりして、痛くなった。絆創膏をしたら、そんなこともなくなって、絆創膏ありがとう、だ。そうすると、iPhoneを指紋認証で開けるとき、絆創膏が違和感になった。口に保湿クリームを塗ろうとしたら、絆創膏でクリームをうまく取れなくなって、他の指を使わなきゃいけなくなった。人差し指、こんな働いてくれていたのね、ありがとう、他の指ももっと使います。それでも、そんな普段の便利さに気づかせてくれたのは、皮膚が当たり前のようにあったからで、なくなって初めてそのありがたさに気づきました。皮膚ありがとう。そんな、色々な恵みに気づけた日。
今日は電車が運転見合わせや遅延で、駅もネットも大騒ぎな日だった。色んな話が出回っていたけれど、電車会社が頑張ってても(私は1時間に1本でも電車が走ればいいくらいの田舎出身だから、電車が1分も遅れず5分ごとにくるような都会によく感心させられる。田舎出身、というのも、そんな感覚を持てるっていう良さがあるよね。)こんなことが起きる時は、学生も社会人お母さんも、学校も会社も家庭も、今日はそういう日だ、ゆっくり行こう。そんな時があったっていい、なんて感じに、みんなそれをそれで受け入れて、楽しんじゃったりして…社会全体で肯定的になれないもんだろうか。駅のホームがイライラで溢れる社会より、許す気持ち、当たり前だったことに感謝する気持ち、非日常から学び、楽しむ気持ち。非日常になった時、そんな気持ちで満たされる社会になったら、もうちょっと、あったかい。そうなってくれないもんだろうか。社会ってそんな厳しくなくてもいいじゃん、ね…。

2017年 11月 14日 (tue)

553円
本日の支出
こんがりチーズの海老ドリア、からあげ棒(竜田揚げ)セブンイレブン/相模原553円
合計:553円

今日は、授業終わってからセブンに寄って、家に帰ってご飯を食べて、仮眠を取ろうと思ったら遅くまで寝てしまった。
それで明日は朝が早いから、また早めに寝なきゃいけない。
よくないね、こういうの。
ほとんど寝ることだけが、最近自発的にやりたいことになっている気がする。悲しい感覚。
ほとんど、「楽しい」という感覚を、たった21年間ちょい生きてる内にどっかで置き忘れてしまったらしく、こんな忘れ物したくなかったなあ、と思っても、どうにも出来ない。どうにかならないものか。そんな忘れ物を、誰か・何かが届けてくれないかと勝手に期待するけど、自分が何かしなきゃくるもんもこないと分かっているので、やっぱりどんどん止まらずに歩かなきゃいけない。と思う。
今日はあんまり、考えることもなかった。どうなるんだろう、これから。
それでも、今週末お母さんが遊びに来るので、お母さんと過ごせる時間が嬉しい。安らぎを得られそう。久しぶりに何かを楽しみにしている感じ。
ずっと水に差していたもみじが、カラカラになっていた。まあ、こんなもんだ。
おやすみなさい。

2017年 11月 13日 (mon)

0円
本日の支出
合計:0円

今日は延滞した本を図書館に返しに行って、どこにも寄り道することなく帰って来て、その後ゼミの自主課題についてほとんど考えていた日だった。
課題研究の大テーマは「幸せ」。自分で選んだ。なんでかって、“幸せ“ってものをわかって、“幸せ”になりたいから。もしくは、“幸せ”にならなくても、「別にいっか〜!」と心から思って解放されたいから、というのが強い。興味深いテーマだと思う、「幸せ」は何か、って。
World Value Surveyという世界価値観調査のデータを利用して何か実証的な研究をし、その結果をどんどんまとめていかなきゃいけないのだが、なんせ、まだまだその道でど素人なもんだから、もう真っ暗な洞穴かどっかを手探りで歩いている感じ。それでも、非常に人間として面白いゼミの先生のおかげで、ちょくちょく光は差すので、それを必死に追いかけて目指している最中。やらなきゃいけないことがたくさんあって、そのデータ分析だけでなく、先行文献を並行して研究する必要もある…VEENHOVENという人の幸せに関する文献の研究ノートも作らなきゃいけない、けど、全然進んでない。大変。
そんなこんなで、夜になって、なんとなく寂しさが募った結果、中学からの近しい友達と久しぶりに電話した。7時間近く…こんなにお互いにほとんど気兼ねなく話せる人がいて、私の存在を肯定してくれる人がいるって、本当にありがたいことだよね。研究テーマの「幸せ」についても、意見してくれて、こちらが聞いたことに一生懸命答えようと向き合ってくれる人って、案外いそうでいないもんだ、自分は恵まれたなと思う部分があった。
私の近しい人は、ホントにみんないい子たちばかり。羨ましいほど。みんなそれぞれのところで頑張ってて、一生懸命で、自分を持ってて。みんなステキだよ、私もそうなりたい。
少しずつ、以前のような自分のペースを取り戻しつつある。家事とか全くやる気にならず、休日家にこもれる時なんてお風呂にも入る気が起きず、初めてのそんな感覚に驚きと苛立ちがありつつも、どんどん色んな何かが周りと自分の中で滞っていくのを肌で感じながら、それでもなぜか体も気持ちもうまく動かない期間から…少しずつ足を抜け出せるようになってきた気がする。明るい兆しが少しでも増幅してほしい。

2017年 11月 12日 (sun)

0円
本日の支出
合計:0円

今日は買い物に行かず、うちで読書や映画鑑賞をしていた。
何日かかけて、「saw」をファイナル(7)まで見た。今映画館では最新作が公開されているらしい。色々考えたけれど、その中でも、明日死ぬとしたら今日の過ごし方をどうするか、また、明日親とか自分の大切な人がいなくなってしまうとしたら、今の自分の生活を後悔しないか、という考え方は大事だなーと思った。あんなサイコサスペンス謎解きホラーみたいな映画からでもいくらでもポジティブなこと含め学びはある。笑
「IT」を映画館で観たいけど、最近はわざわざ映画だけのために外に行く気がしない。お金ももったいないし…。家で一人、ホラー見るのもいいけど、誰か一緒に鑑賞して楽しめて、ごちゃごちゃツッコミしあえる友達欲しいなー。私の最近の友達はみんなホラー嫌いだったり、見れるけど映画の好みが合わないというような人しかいない。
「耳をすませば」もなんとなく見た。映画って、同じ映画なのに、いっつも、見るたびに感想とか印象が変わるのは、本当に面白い。不思議。主人公の書き上げた物語を読んだ、せいじくんのおじいさんの「…あなたは素敵です。」までの一連の言葉が、どんなプロポーズなんかの言葉より今回グッときた。自分という人間を見て、そのままで本当に素敵だと言ってくれているような言葉。今回の「耳をすませば」は、青春恋愛要素より、進路とか人生とか人とか、そういうことについて考え感じさせられた良い映画体験となった。
あと、この前からちょくちょく読んでいる「みんなに好かれようとして、みんなに嫌われる」の本を読み終わった。たくさん学びがあった。学びをスクラップしとかないと。コピーづくりにおいて「『早い話が』から発想する方法。」など具体的なコピーづくりに関するアドバイスも含まれていただけでなく、社会で働くうえで大事にしなきゃいけないこと・感覚とか、ほんと多様な視座に気づかせてくれた読みやすい本だった。
また、今日は同窓会の関係もあって、小学時代の友達と久しぶりに連絡をとった。なんだか、みんな確実に同じだけの時間を違う場所で過ごしてたんだなあ、と実感させられた。色々と不思議な感覚。小学校の頃のあの子が、将来のことを考えてて、親のことも考えてて、人生のことも考えてて。まるで人が変わったように最初感じてしまったけれど、当時まだ同様に小学生だった私には、見えていなかったあの子の側面がほんっとうにたくさんあったんだろうなと気づかされた。今だったら、もう少し色んな面に気づいて、受け入れ理解できるだろうか。そう願いたい。そして、どうしても完全には人の全側面には気づけないと自覚することも大事だと思う。みんなそれぞれに苦しいし、それぞれに頑張っているんだと思う。とにかく、旧友とまた連絡をとれるようになって、最近の人間関係にもまた変化が訪れ、私も少しずつまた変わっていくのだろうか、1年後には何しているんだろうか、と思った日だった。

2017年 11月 11日 (sat)

2,206円
本日の支出
鮭フレーク、国産中粒納豆、2種類の焼き魚弁当、フルーツセラピーバレンシアオレンジゼリー、クラフトチーズモッツァレラ、森永ビヒタスヨーグルト脂肪ゼロ、メグミルク牛乳、カルビーピザポテト、麦チョコ×2、東ハト オールレーズン、ロッテトッポ袋、Lモナ王バニラsanwa/町田2,206円
合計:2,206円

今日はポッキーの日で有名だ。てことで、トッポを買って食べた。ポッキーは結局、自分はあんま好きじゃないんだろう。なんか、食べ応えというか、食べていて張りがない気がする。ところで、食べるのに、張りってなんだ?自分。
夕方、買い物に行って、食べたいお菓子とかばっかり買った。贅沢だなあ…。最近は、食べたいお菓子と白米と白米に合う「何か」、という食事だけをとっている。バランスもくそもないね。野菜ジュースの「1日分の野菜」をよく飲むけど、あれはどれだけ野菜不足に効果があるもんだろうか。そういえば、高校時代、「1日分の野菜」がいかに素晴らしいか、友達に熱く語っていたら呆れられたことがあった。というのも、今、実際の文面も確認してみたけれど、「1日分の野菜」のパッケージには「野菜をしっかり食べる事が理想的ですが、不規則な食生活で野菜が不足しがちな方にお薦めします。」と、ちょんっ、と記載がある。高校時代に飲んだ時も似たような記載(もっと、「こればかり飲むのではなく、野菜を食べることをお薦めします!それでも、事情により難しい方には生活に取り入れていただきたい。」というような内容だった印象だが。)があって、「なんて素敵な謙虚なんだろう!」って感動して、非常に好感が持てるなあ!という話を当時の周りの友達に熱弁したのだ。これこそ、「謙虚」というものなんじゃないだろうか、と。商品なんて、いくらでも売れてほしい、というのが販売元の願いなんだろうに、「何よりも、皆さんの健康が第一なんですよ。」というまっすぐな気持ちが伝わってきたようだった。こういう姿勢を持っている企業こそ、応援したいと思ってしまう。ここまで企業戦略を立てているとしたら、まんまと一本とられます!という感じ。
ところで、いわゆる「謙虚」って何だろうか。本当に小さいころ、たぶん幼稚園か、小学1年生くらいの時とか、時々父に言われたのが思い出される。「…口答えは、しない!まずは『はい。』と言いなさい。謙虚になりなさい。」というような。「まず」と言っておきながら、それに始まり、それで終わる。そのあとは言葉を続けさせてくれない。これって、いわゆる「日本式」教育だなと思う。たぶん…。ただごねているのと、自分の主張があって、「それは違うと思います。なぜなら…」という思いを胸に抱えているのとは、全く別物だし、後者の時、きちんと口にさせてくれる教育、そしてそれを聞き入れた上で、それが「こういう点では良いけど、こういう点では改善の余地がある」とか、丁寧に指摘して向き合ってくれる教育。それが、少なくとも私には好ましいと今でも感じる。「言い訳」という言葉が、さも悪いことのように使われている世の中だけど、いやいや「言い訳」してなんぼでしょ!「言い訳」っていうのは、論理的にもおかしくなくて、自分なりの根拠があって、強い思いがあるもの。要は、本当に伝えたい意見のことで、それをただ飲み込んで我慢して、なかったことにしようとすると、本当になかったことになる。そうして、後々自分で振り返った時、本当の自分の姿が見えなくなったりする。そういうものじゃないかな。だから、伝えたいことは本当に伝えて、存分に、だけど、思いやりも忘れずに「言い訳」する。私はそういう姿勢を貫いていきたい。と、ここに書くことで、改めて表明したい。自分を持ち続けたい。
そういえば、この前コンビニで初めてのタイプのチョコエッグがあった。チョコエッグって、たいてい中にカプセルが入っていて、その中には小さなアニメのフィギュアが入っていたりするけれど、今回のそれはカプセルにマーブルチョコが入っているもので、チョコinチョコ。いやあ、「フィギュアいらないけど、チョコエッグのチョコは美味しいんだよね!」という言葉がたくさん届いたのだろうか。やっぱり、そういう人多いんだろうか。私はまさにそのように思っていて、今回チョコエッグが目に付いたのも、最近チョコエッグのチョコを口が求めているからだった。もはや、「マトリョーシカ・チョコエッグ」みたいなの作れればイイと思う。3層くらいで、「またチョコエッグ!」ていう嬉しさ。いや、誰か作ってくれないかなあ。笑
こんな感じで、一に食べ物、二に考え、三・四に食べ物、五に考え。理屈をコネコネ…ってな最近。また、ちょっと、心境にも変化があって、今後少しずつ生活を変えていこうと思う。

2017年 11月 10日 (fri)

680円
本日の支出
特製豚まん、7カフェ チョコチップクッキー、7カフェ ホワイトチョコの抹茶クッキー、7プレミアム チョコーン、ブルガリアヨーグルト葡萄&白桃セブンイレブン/相模原680円
合計:680円

今日の授業が休講となったため、スロースタートの一日だった。図書館に予約していた本を借りに行って、その本をしばらく食堂で読んでいた。
食堂に着いたとき、色んなテーブルや椅子が並んでいて、私は窓際の明るい座席を選んだ。その時、すぅ~っと引かれて座ったのは4本の円柱(足)があって、背もたれは座面と別々で、「木」感がもう一種類の椅子より強い椅子だった。もう一種類の椅子は、滑りの良いラミネート加工が強めにかかったような座面と背面が一体で、四角くされた金属棒2本の足によって支えられるものだった。あんまり気にしたことなかったが、今日は座るとき、「いや、こっちだよね~」とかどこか頭の隅で思っちゃったもんだから、「え、なんで?」というもう一つの声が心内であがって、「え。なんでだろう?」って思ったから少し考えなきゃいけなくなった。
椅子って、だいたい、人の体を支えて、快適に座れることを目的としていると思う(まあ、逆にお堅めで、どこか緊張するようなソファを故意に選んで姿勢をしゃっきりさせて、心身をだらけさせない、などのその他の用途ももちろんあるさ、、)。それはほぼ、身体的に快適という意味だけれど、一方で、その「人を支える」という特徴では、体だけでなく心理面でもどこか「こいつになら、任せたい。安心して任せられる。」と思わせてほしい気がする。(何言ってんだ、ってちょっと書いてて思うけれど。とにかく、体重とか、最近太ってきたなーとかナシにしても、)今日、私が体を安心して預けられたのは、木の温かみもあってどっしりと、自信を持って支えてくれそうな椅子くんだった、って話。みんなはどうやって椅子を選んでいるのだろうか?椅子を選ぶそのプロセスだけでも、何かしらその人の心理が見え隠れしているんじゃないかな。
そんなこんなで、今日読み始めた本は「みんなに好かれようとして、みんなに嫌われる。(勝つ広告のぜんぶ)」という中畑貴志さんの2008年の本だ。これは、先日話にも出した「宣伝会議」の出版で、それでたどり着いた本。空き時間に読めた最初の50ページのうちでも4・5ページごとに、「私的琴線を揺らす表現」があって、早々にこの本と中畑さんに好感を抱いた。中畑さんのしゃべりは言葉選び・言い回し等々含め、内容どうあれ、惹きつけられるものがある。誰にでもお勧めしたい感じ。
今日は金曜日ということで、「ドラえもん」・「しんちゃん」の日だ。大学3年生になってもこんなことを言っていると、親には「大学生にもなって~」と少々笑われるけど、こういうストーリーは年を取るほど見た方がいいんじゃないだろうか。これは、私が絵本を好んで読む理由とも共通する。子供「向け」のストーリーって、シンプルで、伝えたいことがはっきりしていて直球だし、その伝えたいことも、「大事なこと」が多い。正しいこととか良心とか、優しさ・思いやりとか、家族・友達の大切さ、人間のすばらしさ・可愛らしさ・愛しさとか…、大人になると忘れがちだったり見失いがちなものについて、改めて思い出させてくれるし考えさせてくれる。直球だから、無視もできない。そこで語られるままが正解、というわけではないとこの年になって感じるけれど、依然として、そういうことはどっかで大事だよなあ、忘れちゃだめだよなあ、ずっと考えて追究しなきゃな、って思わされる。子供「向け」のものって、すべての年代が色んな面で価値を見出せるものじゃないかなあ…
なんて、そんなことを言いながら、「ツッコミどころ」を目当てにして見ている部分も大きい。というのも、子供時代には、純粋に見て、そのままを吸収していたストーリーが、「いや!んなわけ!ありえないでしょ!笑」「いやいやいやwww」みたいなツッコミどころが、この歳までくると満載なのだ。それはちょっと、子供の感覚を忘れてるってことでもあって、子供のときに、なんであんなに何でもかんでも楽しめたのだろう、とか、ちょっと寂しさでもあるのだけれど、とにかく、今は新たな面白さに姿を変えている。
てことで、今日も1時間を楽しんだ。
学校帰りにいつものセブンに寄って、クッキーを買った。クッキーって時々食べたくなるね。
おやすみなさい。

2017年 11月 09日 (thu)

473円
本日の支出
ブリトー倍盛りハム&チーズ、からあげ棒(竜田揚げ)セブンイレブン/相模原473円
合計:473円

今日は学校の紅葉がどんどん散っていて、そこらじゅう山盛りだった。帰り、自転車を取りに行ったら、駐輪場がふかふかの星でいっぱいで、あまりに「星」感がすごかったから可愛くて撮った。なんか、小学校の頃、星型に色紙を切り抜いて、それをたくさん作ったって記憶が、ありもしないのに呼び覚まされる感じだった。マイ自転車には、三つ葉もみじが掴まってて、家に連れて帰って、なんとなく水に差した。
昨夜から少し徹夜みたいなことをしたので、今日は午前中でも15時くらいの体感だった。変な感覚…体に時計がついてんだなーっていうのを、最近初めて身をもって実感している。
仮眠を取ろうと思って17時くらいに寝たら、22時くらいに起きた。目がぱっちり。
最近日中はずっっっと眠気があるのに、こんな時だけぱっちりでもしょうがないなあと思いつつ、米をといで炊飯器にセットした。
青森県産「青天の霹靂」は、あれから底力を発揮して、最初、炊きたて時に炊飯器の蓋を開けてご飯を混ぜた時は粘着質が感じられたのに(昨日の感想参照)、実際にしゃもじで茶碗によそって食べる回数を重ねると、ほろほろとほどけるような食感と雑味が全くない、ご飯特有の“あったかい”味がずっと食べていたい感覚を引き起こして、「あれ?やっぱ、ランクが高いお米って、素人にも違うもんなのかあ!!?」という嬉しい驚きにみまわれている。長時間保温しておいたり、炊きたてでもないのに、ずっと美味しくて、それが当たり前になりつつあるここ数日は、ご飯が自分のマイブーム化している。といっても、オニギリはうまい。母が送ってくれた荷物の中に、大きめの「海苔」の袋が入っていて、その海苔も未開封で鮮度が最高だから、薄いのにパリパリともはや弾けるような海苔の食感が相まって。オニギリがうまい。
今日もからあげ棒にしてやられた。チーズ2倍ブリトーは、「チーズ」と名のつく商品を思わず手に取ってしまう私には、本日ブリトー30円引きデーの中、避けられぬ選択だった。

2017年 11月 08日 (wed)

1,593円
本日の支出
からあげ棒(竜田揚げ)、森菓チョコモナカジャンボセブンイレブン/相模原263円
再診料整形外科/相模原820円
調剤費調剤薬局クスリのツルハ/相模原510円
合計:1,593円

今日は、以前から悩まされている右膝関節滑膜炎のための湿布をもらいに、整形外科と薬局に行った。今回は湿布をもらいたかっただけなので、病院で処方箋だけもらったのだが、それだけでも結構請求されて、医療費って高いなあとつくづく思う。私は小中高と運動らしい運動をしてこなかった人間なので、筋肉が全然ないらしく、体も壊しやすいというのを最近まざまざと実感するようになったのだが、それが医療費という形でのしかかってくるので、若い頃の体づくりの必要性は笑い事じゃない。
調剤薬局の受付で呼ばれるのを待っていたとき、受付が3つあった。
2つは薬剤師さんもお客も立ってさっさと用事(コミュニケーション)を済ませられる仕様だったが、もう1つは互いに椅子に座れる様式で、ちょうど、少し腰が曲がっていて、歩くのが少々辛そうなおじいさんがそのカウンターに呼ばれていて、腰掛けてじっくり薬の話であったり痛みの現状について話せているようだった。
いやぁー、実用的なもんだなあー、となぜかすごく感心させられた。
また、呼ばれるのを待っている最中、見つけた大塚製薬のポスターで、「ヒロインは、つづく。」というコピーが目に入って、どこかが抜群にうまい言い方とかではないけれど、なんだか言葉選びやサウンド的な面でわずかに惹かれたところがあった。ということで、一応ここで挙げてみる。
そういえば、今日、薬局で私を担当してくれたお姉さんや帰りに寄ったセブンイレブンのレジのお姉さんは、「人の目をまっすぐ見てくる人」だった。久しぶりに、そのような接客を受けたような気がしたし、非日常的というのもあって少しドキドキして、「何か」を見られないだろうかと不安になった。私は、そんな目をまっすぐにずっと見返すことも、完全に目を合わせないこともできずに、そのちょうど中間あたりをさまよって、目線も心もおどおどウロウロといった狼狽が隠しきれず対応するに至った。こんな時、なぜか弱気にさらされて、なぜか負けたような気になる。お姉さんたちは全く悪くないし、むしろイイね、私もそうできるような人でありたい、と感じているのかもと、今書いていて思う。もしかしたら、そんなことをできるくらい、自分に自信をつけて、毎日人と接せられる人になりたい、という気持ちの裏返しかもしれない。
感覚的に、「人の目をまっすぐに見られる人」は素敵だ、と思っている自分がいる。
また、セブンイレブンに久しぶりに(といっても、前回の来店から1週間も経ってないと思うが、)行って、商品のラインナップがまた少し変わっているのに驚いた。新陳代謝が早いですね。もう、消費社会のスピード感がコンビニ内だけでも、ひじょーーーに可視化されていますよ…
今日は久しぶり(?)に「からあげ棒(竜田揚げ)」を買って帰った。3・4週間前、ドツボにはまったのか毎日のようにセブンの「からあげ棒」を買う習慣があった。これが店によって、揚げ方なのか、揚げた後の処理の仕方なのか、わからんけども、びっくりするくらい味が違ったこと(自分、放置してむにゅむにゅに柔らかくなった天ぷら注文したんかな?って思った。)が1回ある。クレームじゃなく、同じ商品こんな変わるか!?すげえ!って印象。貴重な体験。それからは、逆にいつも非常に美味しく食べさせてもらって、企業努力・店舗努力がびしびし伝わってくるなあ、ありがとうございます、と噛みしめるようになった。
あと、昨日炊いた「青天の霹靂」は、粘着質が強めで甘いお米だった。水をいつもより少なめにしたのが功を奏したらしい…お米って、塩をかけただけで美味しくなるから、すごいね。
今日はこれにて、明日に備えて色々やらねば。おやすみなさい。

2017年 11月 07日 (tue)

0円
本日の支出
合計:0円

今日は具合が悪くて、家にずっといた。
買い物もなし。
昨日、母がたくさん食べ物とか日用品を送ってくれたのが届いた。本当に感謝感謝…
青森産で初めての特A(?)米「青天の霹靂」も入れてくれていて、食べるのが楽しみだ。明日の朝のためにといで、炊飯器をセットした。
おやすみなさい。

2017年 11月 06日 (mon)

0円
本日の支出
合計:0円

今日は一度、学校に行って、返却期限が今日の本を図書館に返したが、すぐに家へ戻ってきた。何の買い物もしていない。学校の紅葉がだいぶ進んでいて、写真に撮ってみた。最近、この消費生活に何かしら自分の生活の痕跡を残すため、写真を撮る癖がついた。写真自体の良さとかは今そんなに重要じゃないけれど、過去が視覚的に一部形として残るのは、振り返られる「思い出」を少しでも増やしたり、自分の過ごした空気をまた思い出したりするのにはいい手法なんだなーと思わされる。誰のためでもない日記だからこそ、残せるような写真もあって、そういうのが飾ってない素の過去の自分を思い出す手がかりになるんだろうなあ、なんて思う。
今日は、夜もテスト勉強をずっとやらなきゃいけないけど、ところで、「宣伝会議賞」の応募受付が本日の13時に終了した。なぜ、私がこれに応募し始めたのか、そのきっかけがほんとに気になっているのに、よく思い出せない。なぜ自分がコピーの仕事にここまで興味を持ちだしたのか、明確なスタートが思い出せない。けど、最近は気づいたら、宣伝会議賞に応募できそうな言葉を考えていたし、一つお気に入りの言葉に不意に出会ったり、見つかったりすると、気分が少し浮きだって、調子がずっと落ち気味の最近では珍しいことだった。例えば、何に使えるか思いつきさえもしないけれど、「あ!今の2つのカタカナの並び・音がイイナ!」とか「あー!この言葉、なんか、すごいグッとくる!…なんかを表現したい!」と耳が反応したりして、書き留めておきたくなる。意味のあるなしはそんなに重要ではなくて、まさに色んな側面で「語感」に惹きつけられているんだと思うし、自分のセンサーがそういうところにあるのかもしれない。こういうことに、最近になって初めて気づいたというか、自覚して、自分でも理由のわからない感覚がうれしいやら不思議やらで、面白い。結果、今回の宣伝会議賞には、ちょっとした違いを加えたコピーもカウントして、141本しかコピーを応募することはできなかったが、息抜きや、自分の感覚的な・無意識的な部分に気づく良いきっかけになった。自分の「面白い」が果たして審査員さんの「面白い」とリンクするか、2月1日には1次審査結果発表だが、結果が少しでもあればうれしい。将来の職業や、進路を決めるにあたって、私にとって本当に重要なことは、自分の嬉しい・楽しい・(興味深いではなく)面白いという感覚が刺激されるかどうかだと、以前にも増して思ってくるようになった。大学までは22年間くらいだが、この先なんてその何倍もあって、結婚や子供とか少なくとも今のところ全く考えられないし、趣味や好きな遊びがあって、それらにいそしみたいといった思いも大してない私にとって、生活を立てるために行うことが、まさに自分のやりたいことでなければいけないと感じる。し、そうであって欲しい。そうでなければ、じゃあ、何のために人生をどんどん継続していかなければならないのか、両親に恩を返して、喜ばせること以外、今は本当にその答えが思いつかないからこそ、怖いし、このままじゃダメだ!何が何でも、自分のやりたいことを生業とせねば!とか思ってるところがある。とにかく、将来、自分はどうしたいんだろう、どうするんだろう。2017年度は本当にそういうところ、考える年にしなくちゃな。
テスト勉強しよう…。おやすみなさい。

2017年 11月 05日 (sun)

3,115円
本日の支出
白菜、大根、長ねぎ、人参、ニラ&もやしミックス、ぶなしめじ大、鍋具材セット、三杯酢もずく×2、カジノヤ国産中粒納豆、グリコ朝食リンゴヨーグルト、北海道無調整3.7牛乳、QPテイスティ黒ごまと五穀ドレッシング、〆マデキムチ鍋つゆストレート、ブルボンジャガチョコ、PARM抹茶ティ、森菓チョコモナカジャンボ、リスカサクサクシットリチョコ、ロッテトッポ、フルーツセラピーグレープF、フジッコフルーツセラピーピーチ、相模大山木綿豆腐三和/町田3,115円
合計:3,115円

今日は、14時すぎに、自転車でスーパーに行った。途中渡ろうと思った細い橋の上で、鳩に餌をやってる人がいて、そんなほのぼのを邪魔するのは気が引けたので、違う橋を渡るためUターンした。この時間の西日は、まだそんな寂しい感じはなくて、澄んだ空気だし、綺麗な光加減だし、爽やかな秋の日だなー、秋ってこんなんなんだなー、良いかもなー、とか思った。私の地元なんて、秋くるかな?!って思ってるうちに、気づいたら初雪降ってるし、ストーブつけまくって部屋ぽっかぽかだし、みんな着膨れで体格一回り変わってるし、「冬来たなーっ」て実感が「秋」を簡単に追い越すもんだから、今まで秋がどんなものかよくわかってなかった。上京してから、こっちの気候にはよく新しい体験をさせてもらって、気候ってこうも違うもんかと驚かされる。地元の良さもこっちの良さも、比較というアプローチで初めて見えてくるから、自分のいつもの環境を離れた所で心機一転頑張ってみたり、新たな挑戦を始めてみるってことは、やっぱり人に何かしらの成長させてくれるのかなーとか思う。だから、海外に行ってみることとか、ほかの環境に飛び込んでみることは、出来る限り私も意識的にやっていきたい…
今日は大して考えたこともなかったけど、野菜いっぱいのキムチ鍋を作った。これで味もちょっと変えつつ、今週しばらく生きていこうかなと思う笑。
あと、初めてじゃがチョコというお菓子を買ってみた。ポテチというよりはどこか、ブルボンのビスケットの味がした。ポテチにチョコをかけてあるお菓子って本当に「甘じょっぱい」の最強形態みたいなとこ、あると思う。
私が最も好きなお菓子と聞かれたら思い浮かぶ1つは「ロイズのチョコポテトチップス(ミルクチョコ・ダークチョコ・ホワイトチョコなどの種類あったと思う。)」で、ほんっっっとうに、「病み付き」とは!「食べ過ぎで病気になってしまう」とは!…このことか!!!…でも、食べずにはいられない!!!という感想を思わず抱いてしまう。ぜひ、もっと多くの人にあの素晴らしい病みつき味を食べて欲しい。
また、他にも好きなお菓子は、(もうだいぶ有名だと思うが)「ガトーフェスタハラダのホワイトチョコラスク」で、先日、(生産工場があるらしい)群馬から遊びに来た友達がこれを買って来てくれた時には、「いやぁ…キミ!私のことわかってるなああ!」という気分で、まさにご満悦だった笑。東京にも買えるところはたくさんあったと思うが、とにかく、チョコとラスクのタッグにおいて、食感も味も100点満点って感じで、あとを引く…もっと色んな人に食べて共感して欲しいなと思う。
そういう、お土産お菓子ブランドみたいなところを、スーパーで買えるような普段お菓子ブランドが、トレンドやアイデアにおいてかなり参考にしているんだろうな…って勝手に考えながら、今日は買い物したという話。
ところで、アイスのパルム「抹茶ティラミス味」が最近のアイスで1番美味しくて、抹茶チョコとアイスの溶け合い・調和具合が素晴らしいんだけど、誰かは共感してくれるだろうか?
眠いけど、テスト勉強をしなくては。おやすみなさい。

2017年 11月 04日 (sat)

0円
本日の支出
合計:0円

思いつき。ネタ帳みたいなの作ろう。A4かそれより大きめのノートを使って、ペタペタカキカキと、しよ。
ネタ帳って言っても、何でもかんでも、その日引っかかったことについて、メモしたり、雑誌とか本の切り抜き・プリントしたもの貼ったり、気になった言葉書き留めておいたり、考え方なんか面白いの思いついたら形にしといたり、マイペースに自分の感性・発見・気づきを残しておくためのノート。形は整わないかもだけど、残すことが何より最優先で、結果やって良かったと思うと思う。
今日は、TEGⅡエコグラムとSCTという心理テストを自分でやった。最近、3週間くらい前からスクールカウンセラーを利用し始めて、週一回程度好きなことを喋りに行っている。そこで前回暇な時やってみたらって言われ渡されたのがこの2つのテスト。結果は、次回、詳細をちょっとでも聞いてきたいと思う。ところで、カウンセラーを大学3年になって始めて利用するようになったのだが、もっと前から利用すれば良かったと最近思ってる。もう、中高くらいから。なんでかって、無料ってのも大きいが、何よりカウンセラーとの環境・機会って本当に良い意味で非日常で特殊。「何でも好きなこと喋っても自分も誰も気にしない」という環境。それもカウンセラーは仕事だから、一応は言ったことのプライバシーは守られるし、言った内容で相手はどう思うだろうとか、傷つけないだろうかとか、引いてその後の態度・私とその人との関係に影響をもたらさないだろうか、とかとか、全く気にしなくてよくて、ある意味完全に他人事としてしっかり受け止めてくれることが非常に気兼ねない時間になる。知り合いにはわざわざ口にしないことを、言葉にして人に一旦伝えようとすると、自分でも気づきがあったりする。「あー、自分こういう傾向あるじゃん!」とか、「この言葉多用してる、ってことは、〜って自分は思ってたのかな、気づかなかったけど。」みたいに。あとは、やはりプロの方だから、自分が気づかなかった可能性を示唆してくれる。そして、何より、誰かとじっくり「おしゃべり」すること、それ自体大切らしい、と身をもって実感する。カウンセリングの前後で単なる良い悪いではない何かが毎回変わってたり、考えさせられたりするのだ。そんな非日常で不思議な時間は、今のところ少なくとも私には有意義だな、という話…。
今日も冷蔵庫のものを食べて、ツナマヨおにぎりを作ったりした。明日はそろそろ、食料調達にいこうかな。どうなることやら。おやすみなさい。

2017年 11月 03日 (fri)

0円
本日の支出
合計:0円

朝の報道番組「スッキリ」で「書類審査はAIだけでよいか?」という話があがった。実際に「Sapporo」はAIを書類審査に取り入れて、そこではじかれた書類を人が改めて見る、という方式をとったらしい。「ほー!」思った。AI審査を取り入れてる企業が既にあるってことは、就活してる友達から聞いたことがあった。けど、その二段階方式によって、45%?くらい選考時間が削減できて、セミナーだったり面接にその時間を回せたってことは初めて知って、AI審査に対する見方が変わった。悪くないなぁーと。AIは過去の膨大な合格例を取り込んでそれを参考に審査するらしい。人に比べて、審査の公平性や安定性は確かにだいぶ担保されそう。考えたことなかったけど、大企業の審査なんか人がやってると、いくら審査のプロでも彼らの疲れだってあって、前半と後半にした審査によって何らかの違いが出ちゃってるかもしれない。そんなことを考えたらAIって人間の良いフォローすごいできるじゃん!って、「ほー!」思った。
けど、一方で、番組中話に出た「書類審査の完全なAI化」には、同意しかねる。スタジオの春菜さんも言ってたけど、人が人を見てる時の「不平等」(春菜さんのこのワーディングが気に入った!)がいい。全て決められた基準によって判断されたら、その基準を満たさなくても後々その企業のためになったかもしれない人材もはじかれる。企業理念も、求める人物像も何もかも取り入れて、全ての面で「完璧な基準」なんて存在しなくて。その基準を作った時には、誰も気づかないような、知り得ないような、そんな無限大の側面が人にはあって。結局就職した後なんて、人と人のやりとりなんだから、人生、人と人との縁の連鎖なんだから、審査の過程で人の肌感覚はなくてはならないと思う。
そもそも、AIの基準が過去の合格例の結果だとしたら、過去を違う角度から超えるユニークな人材は迎え入れられない、ということだ。そんなの、新しいイノベーションを事前に拒否しているようなものだ、と思う。
そんなこんなで、書類審査の完全なAI化ではなく、二段階方式がもっと広まったら、より面白い世の中になりそうだな、っていう今日の私。
明日になったら、また他の面が見えてきて、意見は変化しているかもしれない。でもそれでいい。今の考えがなぜそれに至ったのか、それをその“今”残しておくことが後々の自分に気づきを与えるだろう。
意見が変わることは決して「気分屋」なわけじゃない、と思っている(「気分屋」という言葉を私は悪く捉えてしまっている節がある。いつかコレも変わるかな?ワクワク。)。原因があって、出会いがあって、時間も経って、何かしらのファクターがあったからこそ意見が変化できる。本当にその場の気分だけで無責任に発言をコロコロ変える人は話していて面白くないけれど(なぜなら、事実や責任、思いの重みが「面白み」を生産するところがあるから。)、意見が変化して、その理由やプロセスまでも言葉にできれば、それはより深い真意の理解につながるだろうと思う。
ってなことで、今までやろうやろう思っててもキッカケがなくてしなかった、「今日考えたことメモ」の作成を、この「消費生活」を利用してすることにした。ネタ帳みたいな感じだ。全部は書き留めれないけど、あとで見返した時を楽しみにする。
今日は家から一歩も出ずに、本読んだり、コピー考えたり、テレビ見たり、金曜日が休みって月曜日が休みより、なんだか良いなってなった。ご飯も冷蔵庫のもので済ませた。
ツナ缶でツナマヨを作ったけど、最近はツナ缶のフタの部分が缶素材でなくなってて、カンタンなもんになっちゃったんだなー。缶のフタ開けるために全く力が必要なくて、拍子抜けして、アレはアレで小さすぎる達成感みたいなのあったんだって感じだった。最近の餅は、スライスしてあって、お好み焼きとかたこ焼きとかピザとか、のせやすくなってた。確実に時間は進んでるーーー!
ウォーキングデッドが最近の元気の源。
今日も、おやすみなさい。

2017年 11月 02日 (thu)

1,255円
本日の支出
若鶏の香味唐揚弁当、サクサクショッカンノシットリチョコ、10種類具材のミックスサラダ、炒めの真髄!チンジャオロース丼セブンイレブン/相模原1,255円
合計:1,255円

昨日の夜仮眠をとってから、今日の朝8時過ぎまで課題を消化して、今日は日中、ずっと16時くらいの感覚で体内時計が狂っていた。授業中寝るなど普段全くしないのだが、今日は自分で歯止めがきかないくらい頭がずっとグラグラして、先生に申し訳なくなった。1日以上、仕事とかででも何ででも、徹夜できちゃう人が大人だなとちょっと思う。
 今日は課題をそれなりに頑張ったので、食事は楽しようと、昼も夜もまたセブンへ。(最近何も作りたくはならない。)自分で言って自分で食べたくなったチンジャオロース丼は、肉が前より硬くて味の調和も感動するほどじゃなくて、「アレ?」ってなった。よく、ずっとおいしいと思ってたのに、ある時突然ふと「アレ?そんなでもない?…え?」って自分でなっちゃうときがある。一気に白けて、なにに虜だったんだろう、と煙に巻かれたようになる。不思議だなあ。
 ようやく、最近最も忙しかった授業が終わりそうなので、光が差してきた。課題もその日のうちに手を付けて、「課題消化」する習慣が当たり前になるよう頑張ろう。
 今日は早めに寝る。おやすみなさい。

2017年 11月 01日 (wed)

2,058円
本日の支出
ほうじ茶、炙り焼サバ御飯セブンイレブン/相模原398円
ツルもち餃子の野菜中華スープセブンイレブン/渋谷298円
大きなツインシュー購買会/渋谷104円
電車賃1,258円
合計:2,058円

今日から消費生活を記していくことになった。どんな感じにやったらいいか、まだシックリきてないけれど、そのうち落ち着いてくるだろうと思って、ただ自分の日記を始めるつもりで進めていく。
今日は溜まっていたゼミの課題をたっくさん消化しなければならないのだけれど、最近のいつも通り、全く手がつかない。始めるまでがひたすら長くて、自分でもびっくりする。どうしちゃったのか、以前は必要に迫られればそれに従ったのに、最近は無駄に反抗的な無意識が働いて、「べきこと」の優先順位が下降気味で困る。
でも、そのうち。もう少し夜が更けたら。始めなきゃなと思う。
今日は、そんな課題たちを横目に、「宣伝会議賞」にコピーを何個かネットで応募した。今までの全部合わせて、100個を超えてきて、「おっ。片手間に応募してたけど、それなりに数刻んできてんなー」とちょっと達成感だった。コピーを考えるのは、ほんとに自分が自然体で、時間を忘れて没頭できることだと思う。自然体の自分をふと発見できただけでも、儲けもんだなーと思う大学3年、進路苦悩期の今日この頃。
夕飯は冷蔵庫に残ってたタコ焼きの具と粉で、フライパンを使って「タコ焼きオムレツ」的なのを作った。たこ焼きみたいに一個一個ちまちまじゃなく、ガッツリ口いっぱいにたこ焼きを頬張れる感じで、まあまあ好き。最近は全然凝った料理をしてないなぁ。早朝にはリンゴを丸かじりした。久しぶりにすると美味しかった。
最近は異常なほどセブンイレブンに通っていたため、だいぶセブンに詳しくなってきた。今日食べた炙り焼さば御飯はうまいけど、一時期前の塩麹サバ弁当みたいなのの方が、旨味があってベターだった。チンジャオロース丼は炭火みたいな香ばしい匂いがして美味しい。今日友達にオススメした。