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予定が色々重なっていたこともあって(というかこれはお金がないとか時間がないとかめいた常套句の言い訳で、単に何かをすること自体に気力がなかったんだと思う)、更新が遅れた。言ってみれば余程でもないなら大抵の言い訳は自己陶酔めいた言い訳に過ぎないと思う。
二度寝して、9時半起きのはずが11時半ごろに起きた。朝ごはんに冷奴を食べた。コンマバングっぽい髪型のときは、ブローとスプレーだけでもいいかもなと思った。13時に比較政治学の学生プレゼンを聴きに行った。あんま聞く意義を見出だせなくて、途中で帰って面接の準備をした。15:30から結局リスケできたメガバンの面接を受けた。自分史面接って死ぬほど嫌いで、幼少期に意思決定なんてあるん? ともそもそも思うし、ただ企業が育ちに恵まれた学生をピックするためだけの巨悪だと思う。生まれた場所や環境で差別する構図を作り出している企業がいくら社会貢献性を謳っていても軽蔑するし、どうせ数年後には自分史も愛読書とか親の仕事とかみたいに行政側からオフィシャルにタブーと明記されると思う。というかされてほしい。これ法の下の平等に反していて、間接適用説を経由すると労働契約自体が一般条項の公序良俗違反で無効とか……ならないか。それと、急に対応を雑にする面接官って人のことめちゃくちゃモノ扱いしてるよなと思う。最近思ったこととして、就活で滑り止め企業を受けることには特に何も思わないけど、自分は滑り止め企業だと思いながら働きたくない。GPA的にうちの大学の院なら推薦で行けるし、他の大学の院も選択肢になるし、なら大学院でもっと勉強していたいと思った。というか受験も就活も、他者が他者の結果を戯画化して凄い/凄くないのコンテンツ扱いしてるのがめちゃくちゃ気持ち悪いと思った。たいていメリトクラシー的な考えは狭隘で、環境面の埋めようがない格差を無視しているし。例えば、実質一部の中高の人しか入れなくて進学先もほぼみんな同じターゲット校ってような都心の塾→そのターゲット大学の人がうちは一般家庭で一般家庭のうちでもここに行けたから他のやつは努力が足りなくてって言ってたとして、は? としか感じられないと思う。正直自分自身(というか誰しも)根底はかなり差別的で、それを理性でコントロールしていて二面性があるんだと思うから、尚更リバタリアン的な価値観に違和感を抱いてしまう。英語運用能力とかもそうだけど、能力≒是とする価値観は恵まれた人がそうでない人を見下す材料とする面でなにも身分制度と変わらないと思う。自尊心を肥え太らせないに越したことはないし、他人の人格は尊重すべきだと思う。
うどんを食べた。バイトに行った。充実して働けた。帰宅してそばを食べて溜めてた家事をやって荷造りと細かい旅程立てをした。終わらんくないか?? と思ったけど意外となんとかなった。こういう成功体験がルーズな人格を作るんだと思う。めちゃくちゃいろいろ考え事をしちゃって、眠すぎたのもあるのか逆に眠れなかった。